平事件

昭和24年07月13日 衆議院 法務委員会
[001]
委員長(民主自由党) 花村四郎
まず平事件につき、本委員会より委員を派遣しまして調査をいたしましたその結果を、猪俣浩三君より御報告を願い、次に上村進君並びに高木松吉君より補足的に御報告をお願いいたしたいと思います。

[002]
日本社会党(社会民主党) 猪俣浩三
平の騒擾事件につきましては、新聞その他において大略アウト・ラインは御承知のことかと思うのでありますが、私ども衆議院法務委員会によって派遣されました者が各党から4名参りまして、現地におきまして4日間にわたりまして調査をいたしたのであります。

調査いたしました相手は、平の自治体警察の本田という署長でありますが、なおたまたま福島の高検の検事が参っておりまして、その検事及び地元の検事、検事局側の意向も聴取いたしました。それからなお地元の公安委員、市会議員、新聞記者等につきまして、原因または輿論の反響等を調査いたしました。なお平市から1里ばかり隔っておりまする内郷町の自治体警察の署長及び古口という情報主任を調べました。なおそのほか監獄に留置せられておる者及び共産党関係の方々、これもまた調べたのでありますが、これは私一足先に帰りましたので、高木委員あるいは上村委員の方から御説明願いたいと思うのであります。かような事件の責任者であります警察側、検事局側及び押し寄せて参りました集団の指導的立場にある人たち、乱闘事件に関係して留置されたような人たち及び地元の有力者、なお朝日、毎日、読売、福島日報、その他10数名の地元の新聞記者たちの座談会等によって、ほぼその真相を把握したと思うのであります。

そこで事のありようは、この6月30日の午後2時過ぎより70~80名からなお多いときは400名、あるいは500名と称せられる群集が平の自治体警察に突入いたしまして、これを占拠し、その時刻からおよそその日の午後の11時半ごろまでの間占拠されまして、平市は、無警察状態を呈したというのであります。

そうして巡査及びこの押し寄せた群集の中にも数名の負傷者を生じまして巡査の1名は4週間の傷を負わされ、なおまた警察署自体は投石及びいすでもって留置場の扉をなぐるというようなことで、窓ガラス及び扉、いずれも破損の箇所が見受けられたのであります。なお留置場に検束せられておりました1人が、留置場からかぎをたたきこわして他へ救い出され、その看守をしておりました堀井という巡査が、その携帯しましたピストルを奪われ、あべこべに留置場の中へぶち込まれたという状態があったのであります。

そこでこういうことのあらましは、新聞でも御承知だと思いまするが、われわれが重視いたしましたることは、原因が那辺にあったのであるかということと、その及ぶ影響、市民の人心に与えた影響がどの程度であったかということ、及び警察同士の連絡、あるいは警察と検察局の連絡、さようなものが一体完備しておったかどうかということ、及びもしここに警備状態について不備があるならばいかなる点であろうかということ、かようなことに重点をおきまして取調べたのであります。

そこで第1の原因の問題でありまするが、これはおよそ3つの原因があると私は思う、これはまだ当委員会の最後のまとまった報告ではありませんから、ある部分私の個人意見になるかも存じませんが、第1の直接原因は、いわゆる掲示板問題であります。これは本年の、4月13日の日に、この平市の共産党の常任委員でありますところの長江久雄という人の名義で、県道ばたに掲示板を立てることの許可願が出たのであります。窓口でそれを取扱っております山口という巡査は、それを何とはなしに受けとって、そうして上司の回覧に供し、それぞれ部署の人たちが捺印をいたしまして、最後に署長がめくら判を押してこれを許可した。

そこで許可いたしますというと、幅が7、8尺もありますか、縦幅が5尺ぐらいもありますか、そういう掲示板が駅のすぐ近くの県道ばたに立てられたのであります。そうしてそこには共産党石城地区委員会というものの名前で、要するに壁新聞が張り出され、赤旗その他の共産党糸の新聞が張り出されるとともに、その内郷町という町にありました矢郷という炭鉱の労働争議の批判が掲げられ、あるいは平市におきまするところの小学校児童に対する給食費の不正使用というような問題が掲示せられるように至りまして、相当の人気を呼びまして、道路ばたでこれを読むものがふえて来たというようなことから、一旦許可をいたしましたその掲示板に対しまして、警察では本年の6月25日になりまして、あれは交通妨害になるから撤去してもらいたいという申込みを共産党の地区委員会、あるいは申請人である長江久雄に対して要請をしたのであります。

ところが、共産党の地区委員会におきましては、一旦許可したものを撤去するということはできない。交通妨害などと称しても、どの地点に立てるかということは前もってお前たちも知っているはずである。それを幾月もたたぬうちにすぐ交通妨害であるといって、一旦許可したものを取消すということは、共産党の宣伝活動を弾圧するところの意図でやっておるものであるから、断固として承服できないということで応じないのであります。

そこで警察ではあらためて文書をもちまして、その取消しの旨を申請人の長江久雄に通達いたしましたけれども、これもいつかはしれず、その文書が警察署の窓口に投げ込まれて返上されてしまった。

こういうわけで、その間に交渉が進まなかったのでありますが、警察では27日になりまして、どうでも撤去せよということを、この共産党地区の委員長でありまする鈴木光夫あるいは朝鮮人連盟の幹部であり、かつ共産党の幹部である金明福という朝鮮人にどうしても撤去してくれ、そこで場合によっては、他に場所さえかえればよろしい、県道の敷地でなければ、個人の私有地に君らが立てることは仕方がないことであるから、場所を少し移転してくれたらどうだ。ちょうどそこから何でも4軒か5、6軒離れたところに住吉屋支店という商店があるのでありますが、その商店の前に少し空地があります。やはり県道に沿うたところで同じ側であります。そこを住吉屋から借りることができ、そこへそれを移転させるならば、警察はさしつかえないと思うから、まず県道のを撤去してもらいたいという談判をやったのであります。

ところが借りられるかどうかわからないというようなことで、それに対する返事もない。警察は遂にとにかく30日の午後4時までに必ず撤去せよ。必ずそこへ移転してしまえという交渉をしておりまするけれども、まだ向うが貸せると言わないから撤去できないという抗弁で、延びておりました。

実はこれはあとからわれわれが調べてわかったのでありますが、この住吉屋支店もこの掲示板の敷地を提供することはいやであって、拒否するつもりでいたのを、警察の次席が個人的に暮夜ひそかにたずねて、困るからどうか貸してやってくれんかということで、そこでこれを貸せるという気になって、共産党に貸せるという返事をしたというのであります。

さようなことで、結局その土地が借りられることになったのでありますけれども、共産党の幹部諸公は、一旦許可したものを一方的に取消すということは不法であるから、まず取消しの取消しをやれ、それをやらなくてはわれわれがどこへ立てようがわれわれのかってである。そんな警察からかれこれ言われる道理はない。一旦許可したものを取消す以上は、まず取消しの取消しをやってから後にしてくれというようなことで、30日の朝もやはりこれらの代表者と交渉いたしましたけれども、話がまとまらぬ。それで警察では非常に強硬に、ぜひ撤去せい、もし撤去しなければ、警察で代理執行をやって撤去してしまうという態度で臨んだのであります。

さような談判をしておりましたそのうちに、30日の午後になりますと、40名、50名、70名という群衆が警察の前に現われて参りまして、3時、3時半ころには150名あるいは200名という群衆になって、最後には先ほど言ったように400~500名の人が集まったということであります。

そこで非常に雨の降っておったためもありましょうが、これが警察署の中へ入れろ、入れないということで、小ぜり合いをやって、先ほどのような、警察官にも、あるいは襲撃した人たちにも負傷者を出すようなことに相なったのでありますが、とにかくどっと署内へこの400~500名の人が入ってしまって、署長室ばかりに70~80名の人間が押込んだのであります。

そして署長に対して、われわれの同志にしてけがをした者に対しては損害を賠償せよというようなことで、談判をしてなかなか帰ろうとしないのであります。それから公安委員も参りまして面会をしたところが、署長を首切ってしまえというような談判を公安委員にやって、これもなかなからちがあかぬということで、8時、9時、10時とずっと占拠せられたままでおったのであります。そこで11時半ころになりますと、この押寄せた人たちが自発的に一度退去することになりまして、占拠を解いて、ここに警察が初めてまた元の状態を回復したということになっているのであります。

これはこの掲示板問題が直接の原因をなしてこの暴動が起ったことは申すまでもない。ところが掲示板の問題だけで、しかもちゃんとかえ地があったにかかわらずかような天下を聳動(しょうどう)せしめるような大きな暴動化したということは、われわれとしては理解に苦しむところでありまして、いろいろの新聞記者あるいは地元のいろいろな人たちの意見を聞いてわれわれが直覚いたしますことは、どうもこのほかに何かの動機があるということであります。

その第1は、先ほど申しました1里ばかり距たったところに内郷町の矢郷炭鉱労働組合があります。これが400~500名の従業員でありましたのを、170何名か首切りせられまして、しかも4月、5月の給料を支払わぬという状態で、労働争議が非常にはげしく険悪の状態になっておりましたのみならず、矢郷炭鉱労働組合の組合長、副組合長、執行委員の大半というものは共産党員でありました。そこでこの争議も苛烈をきわめまして、長い間闘って来たのでありますが、この山主はこれらの首を切った人に対して鉱山に立入りを禁止するような仮処分をした。そのときに内郷町の警察署あるいは平の警察署が応援に行きまして、この執行が妨げられないように警備したことがあるのであります。内郷町の警察署は2回、この裁判の執行に立合ったと申しておりまするが、これはやはり資本家の犬となって労働組合を圧迫するという感じをこの矢郷労働組合にいたく与えたと思われるのであります。

なおこの矢郷労働組合の労働争議は時勢のしからしむるところ、ことにこの矢郷という炭鉱主がまったく経営の才能もなく、時代的感覚も少い男で、赤字続きで何ともしようがないという状態であった。その経済的の理由からでもありましょうが、労働組合の主張がなかなか通らんで、概括的に見ますると、どうも労働組合が敗北したような形に、第三者からも見受けられる状態であったのでありまして、ここに労働組合の指導者が焦慮したということも想像されるのであります。かような焦慮の観念から、ここに新しい一つの気分転換というような意味におきまして、掲示板問題を契機にいたしまして、平警察署に押し寄せたのであります。

それはこの矢郷炭鉱労働組合を主力といたしまして、その他の炭鉱組合における、主として共産党に正式に入党するような人たちがほとんど大部分であったのであります。それに朝鮮人連盟の人たちも大いにあずかって力があったのでありますが、この矢郷炭鉱の労働組合がほとんどこの襲撃の中心をなしたというような事情も、かようなことからじゃないかと思われるのであります。

なおまた第3の原因として考えられますることは、これはわれわれの憶測になるかも存じませんが、福島県下におきましては、福島、若松、郡山、平及び内郷、こぞってこういう警察署襲撃事件あるいは県庁襲撃事件が起っておるのであります。それも大半が30日の午後から始まっているということから、これには一連の連絡があって、計画的に、30日の午後を期してやったのではなかろうかという疑いが濃厚にあるのであります。

そのことにつきましては、われわれの調査がことごとくそれを剔抉(てっけつ)するまでに至らぬのでありますけれども、大体の予感としてはさようなことが考えられまするし、また1、2の事情からもそれを推測できる――推測できると申しますることは、30日の午後2時ごろ、内郷町の自治体警察でありますところの内郷警察署に対しまして、150名の群集が警察署を包囲いたしまして、そうして署長室に20数名なだれ込みまして、署長に対し、平の警察署から応援を求めて来ても、絶体にこれには応援に行くな、それを確約せよ、しかも口ではだめだからこの紙に一札書け、こう言うて強要したのであります。これに書かぬならば警官の武装を解除せよ、ピストルから棍棒からみな集めてしまえ、ぐずぐず言うと留置場にぶち込んでしまうと言って、署長を脅かしたというのであります。

そうしておりますうちに、小口という情報主任が2階から降りて参りますと、これを表にかつぎ出しまして、雨の中にこれを包囲して蹴飛ばす、なぐる、罵詈讒謗の限りを尽して、そうして殺してしまえという声もそばからかかった。小口の話によりますと、自分は殺されると思って、どうせ殺されるとするならば、自分も兵隊あがりではあるし、2、3名道連れにして死んでやろうと思って身構えをしておったけれども、同僚が来て、とにかくここで死んでは犬死になるから、あやまれ、悪かった、あやまったと言えばいいじゃないかと言うて、しきりに勧めますために、あるいはここで乱闘をやって、累を他の同僚に及ぼしてもいかぬと思って、自分が悪かった、あやまったと一言言ったところが、囲みを解かれたということであります。

そうして3時近くにトラックに乗りまして、平の方に押し寄せて行ったのであります。

同様のことが前の日か、前々の日かに湯本の警察署にも行われたというのでありますから、平を襲撃することに対しましては、やはり内郷町あるいは湯本の警察を押えておいて、そうして平に行ったんじゃないかと疑われる節があるのであります。

かような状況でありますから、われわれの感想といたしまして、これは相当連絡をとってやったんじゃないかという気もいたすのでありますが、私どもの調査の範囲におきましては、はたしてさような連絡があってやったものであるかどうかということは、的確にわかっておりませんが、これは私どもの話合ったときの感想でありまして、しっかりした証拠材料はないのであります。

ただ平の警察署及び内郷町の警察署につきましては、かように平に参ります前に、150の群集が応援をとめるような行動をやったという事実だけは、これは明らかになっておるのであります。

かようなことが実相でありまして、なおこの輿論がどういう状態になっておるかを調査いたしましたところが、これは共産党と警察とのけんかだということで実相を見きわめる人は、それほど驚かぬインテリ層もあったようであります。なに、われわれ一般の人民に対するものではなくて、これは共産党と警察のけんかなんで、われわれにまで及んで来ることはなかろうという見方もあったようであります。

ところが中には、大体共産党は8月革命ということを言っているから、これはどうもその先触れじゃないか、そうして警察署に乱入する前に、警察署の入口に赤旗2本を交叉して、そうして人民警察ができたと言った者がある。さようなことからすると、これは一体共産党が革命をやるときまずこんなふうに警察を占拠する、そのサンプルを今やったんじゃないかということで、8月革命説というものに対して、一般大衆は相当おびえているというような点も見受けられて来たのであります。

輿論はさような状態で、これが市民に与えましたショックというものは、相当甚大なものがあったということは言い得ると思うのであります。

なおこの騒動の主力をなしました矢郷炭鉱労働組合の人たちは、非常に惨怛たる生活でありまして、この経営主が4月も5月も給料を払わぬということで、労働者としては非常な困窮をしていることは見のがし得ないのであります。

なおまたこれに合流いたしました朝鮮人連盟というものも、ほとんど正業のないものでありまして、しょっちゅう警察にごやっかいをかけているような人間が多いというわけであります。あるいは濁り酒をつくるとか、あるいはやみをやるとかいうことで、しょっちゅう警察にあげられておる。そういうようなことで警察に対して、どうして警察は自分たちの生存を脅かすのだというような恨みを持っておる感じもある。

結局においてこういうように生活的に非常に困窮しておるというところに、いわゆる指導者になっておりました石城地区の共産党の諸君が、相当過激なる指導をなさったのじゃないかというふうにも考えられるのであります。そうしてかように警察を占拠するというところまで立ち至ったということは、この石城地区の共産党の指導者のために、私ははなはだ遺憾だと思うのでありますが、私どもの感じでは、共産党の指導者諸君が相当こういう労働組合、あるいは朝鮮人連盟を指導したというふうな感じを受けたのであります。

(略)

はなはだ雑駁でありますが、大体以上のような直接原因、間接原因及びこれが世論に与えた影響及びその反響として現われたいわゆる自警団組織の問題を申し上げたのでありますが、なおここで警察及び検察の状況を一言申し上げますならば、まことに私どもも驚いたことでありまして、警察電話というものは全部聴取されるのだそうであります。昨年の春以来警察の専用電話というものはなくなって、逓信省1本に統合された。それ以来というものは、どうも警察電話は全部何者かに聞きとられてしまって、機動性を欠くことがはなはだしい。そこできわめて重要なことは、飛脚で伝達して歩いておるというのでありまして、まったくこれは徳川時代に逆行してしまったような警察の体制であります。

(略)

[003]
委員長(民主自由党) 花村四郎
上村進君の補足的御報告をお願いいたします。上村進君。

[004]
日本共産党 上村進
(略)

[005]
委員長(民主自由党) 花村四郎
高木松吉君の補充的御報告をお願いいたします。高木松吉君。

[006]
民主自由党 高木松吉
ただいま猪俣君、上村君から大体の報告があったのであります。そこで、私ども調査委員としての使命は、事実を調べて当委員会に報告するというのが主であって、事実から来る諸他の結論を断定的に報告申し上げるということは、かえって差控えることがよろしいのじゃないかという考え方も持っておるのであります。しかし事実と結論とは因果の関係でありますから、ものの見ようによって結論まで申し上げ、結論から事実を明らかにするということも必要であろうと思う。

そこで先ほど御報告になった猪俣委員の御報告は、大体において私どもが見たり聞いたり実地調査した結果を報告しておることを私は認めます。

しかしここに上村委員の報告に対しては、私どもが現地で調査し、そうして現地で調べた結果と、上村委員の報告との間に、相当主観の強く動いておるものがあって、私としては上村君が先ほどからまんざらうそでもないというくらいな気持で御報告しておるのでありまするから、これに反駁を加えて、私の事実報告をしようとするのでありませんが、特に私は当委員会の委員として調査を命ぜられて、一党一派に偏することなく実際の事実を把握して、忠実に委員会に報告することが使命なりと、そういう考えから、少しく猪俣委員の報告に補充的な点を申し述べてみたいと思うのであります。

猪俣委員が大体報告されたので、この猪俣委員の報告は、われわれの調べた証言及び事実によってはっきりとする点がどこにあるかということでありまするが、最後の日、猪俣委員が立会わずに、われわれが地方事務所の2階で共産党員を証人尋問いたし、それに引続いて刑務所で4名の留置されている方々を調べたのであります。この間において、私はただいま上村委員の言うような事実をはっきりと認定することはかえってむりであって、猪俣委員のお話になった報告内容の方が正確であると考えられるのであります。

まずその計画的襲撃であったかどうかという点に対して、具体的の証言を1つ、2つ拾ってみますると、刑務所におられた金明福、武藤弘、草野直子、深沢信というこの4人を調べまして、はっきりしたのは武藤弘であります。これが30日の午後3時を期して平の自治警察に押しかける。それを同志諸君に連絡せよと草野直子から言われたということをはっきり言っております。要するに3時に同志を集めて平市警に押し進めて行くんだという事実は、武藤弘証言によって明らかになったのであります。

それから深沢信――これは湯本におられる共産党の人であります。この共産党の人も、まず指令と申し上げたらいいでしょうと思うが、共産党員及び民主団体の代表者に、平市警に30日の午後3時に押しかけるようにしろということを言われたので、私は連絡をとりました。こういうふうに言っておるのでありますから、どうしても猪俣委員の言われたように、計画的に押し寄せて来たことは、これら2証人の証言によっても明らかである。漫然と集まったごときことを言われる上村委員の報告には、賛意を表しかねる次第であります。

大体あとは猪俣委員の報告されたことが、いわゆる事実調査の結果として考えられることであると思いまするから、これ以上のことは私から申し上げずに、猪俣委員がおられなかったときの、猪俣委員の観察を正当なりとわれわれが思う証拠について、説明をいたした次第であります。

[007]
日本共産党 上村進
いやその行くということについて、その連絡をとったということを私は否定しているのではないのです。ただ襲撃の目的で行ったか行かないかということについての慎重な調査、それからいろいろなことで調べた。ですから襲撃者がああいうような乱暴をする、留置場の人をたたき出すとか、とにかくああいった乱暴をするために集めたものではないのだ。あそこへ大勢民主団体が行って、警察署の署長に合法的に交渉する。そういう意味で連絡をとったことは否定しません。

ただあの石を投げてガラスをこわした、留置場の人を出すとか乱暴したということは、初めからの計画ではない。あれは派生的にできたものであって、本流の大衆は依然として標識問題のいきさつについて交渉しておったにすぎないものであるということを私は述べたのです。

ですから、その点で報告が計画的になってもいけないわけであります。大体そういうつもりで私は連絡とったことや、あそこへ大勢行ったことについて否定はしません。ただ暴行、脅迫、これらの乱暴を初めから予想して行ったのではないということを申し上げます。

[008]
民主自由党 高木松吉
ただいま上村君からお話がありましたが、それは結局水かけ論です。というのは、一体私の調べたのも上村君の調べたのも、目的が何であるかということを調べたのではなくして、ただ行ったか行かないか、連絡があったかないかというところまでしかわれわれは調べていない。

あともしあなたが調べられたとするならば、われわれとともに調べたのではなくして、あなた個人として調べたことであって、私ども共同で調べたところでは、目的があったかなかったかということについては調べていない。

それはあとのことで、常識的に考えて報告できればよし、なるべくならばそれは報告しない方がいいのじゃないか、こう思いますから、私は申し上げたのであります。





昭和24年07月19日 衆議院 労働委員会
[083]
民主自由党 吉武恵市
そこで私はこれらの労働争議を装う幾多の事件に引続いて起りましたところのかの平事件こそは、これはまったく労働問題でも何でもない。

ただ一警察署が、目抜通りの道路に立看板を出したのでは交通を妨げるから、もっとわきの方に寄せたらと言って、場所まで選定をしてあっせんをしている。それにもかかわらず、多数の者が警察署に押しかけて、そして警察署を占領している。赤旗を立てて、警察署はわれわれ赤旗によって占領したと豪語している。

こういうことが今日の法治国家において許されるはずはありません。

かくのごとく6月の初めから7月にかけての短期間に、幾多かくのごとき暴力ざたが行われている。これをわれわれは、単なる自然発生的な事件と見るわけに行かないと思います。これらについては、賢明なる検察当局においても想像されているところと思います。





昭和29年04月27日 衆議院 地方行政委員会
[046]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
それではこの8件の事件の概要を申し上げます。

(略)

その次の平の騒擾事件は、日共の福島地区委員会から許可申請のありました掲示板の設置に関しまして、その福島市警の許可取消し処分を不服といたしました日共関係者は、実力をもって所轄平の市警に乱入をいたしまして、署長以下署員を軟禁いたしました。看守巡査の拳銃を奪取、留置人を奪還いたしまして、署の前には赤旗を交叉をし、市内にみずからピケット・ラインを張りまして通行人を尋問する等、一時無警察の状態になった事件でありまして、これは有名な事件でありますから、十分御承知のことだと存じます。





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