昭和24年07月13日 衆議院 法務委員会 [004] 日本共産党 上村進

旧字版(新字版は下)
昭和24年07月13日 衆議院 法務委員会
[004]
日本共産党 上村進
 私も今度の調査團の一人として四日に参つて、八日の日まで、最後までおつたわけです。大体概略は猪俣委員が申された通りでありますが、なお多少落ちておる。そうして私は一方の警察とけんか相手の共産党の石城地区委員の人たちとお話したのでありまして、多少主観が違いますが、その主観の違うこともまたここで述べておく必要があると思う。お前共産党だからそう言うのだろうとお聞きになる方があるかもしれませんが、しばらく御清聽を願いたいと思います。
 大体猪俣氏が言われたように、直接の原因はまことにささいな、つまらないことで、共産党の壁新聞の掲示場を今より七十日ばかり前から許してあつたわけです。そこは平の停車場から出ますと廣場の前に大通りがありますが、その大通りをちよつと右へ行つた二、三十間の所の、縣道のどぶのはたに許可されてあるわけであります。そうしてそれは今までは何のこともなく、ずつと共産党のアカハタ、もしくは壁新聞、その他ポスター、そういうものを掲げて共産党の宣傳、情報をそこへ掲示しておつたのでございます。それをとれ、とらない、急に交通妨害だからとれということが六月の二十五日から始まつたわけです。こつちは決してとらないというわけじやない、とる、とるにしても行先を探したりいろいろするから、しばらくかすに余裕をもつてしてもらいたい、こういう交渉をしておつた。それが許された。いろいろしてずつと來て、結局その間に警察の方で硬化して、どうしても三十日一ぱいにとつてしまえということが問題になつたわけであります。だからこんなつまらないことでこんな問題になつたら、何か底にあるだろうというわけでいろいろ臆測をされておりますが、私の調査したものによれば、決して底もなければふたもありやしない。ただ今まで許されたものが急にとれ、しかも断固として三十日以内にとれというから、そこに多少軋轢がはげしくなつたということにすぎないのであります。それが共産党の側の根本的な態度でございます。人数が少し多くなつたということから評判になつたわけであります。そこで共産党としてもできるだけ大勢の大衆をあれして、最後には團体交渉をやろうという考えは持つておつたらしい。しかしそれは計画をしておつても、それを実行しようとしておつたわけじやないのであつて、終始代表をあげて、地区の委員長あるいは常任委員、ことに共産党に属しているものに朝鮮人連盟がありますが朝鮮人連盟は別に初めから團体としてこれに應援していたわけじやないのです。共産党員が朝鮮人連盟の幹部におるわけです。金明福という人です。この人もそういうわけですし、ちようど朝鮮人連盟の前は警察の宿舍ですが、そんなわけで朝鮮人の人は、警察にはときによつては非常にけんかをしますけれども、ふだんは仲よくしているという形です。特に平の朝鮮人連盟はそういう形で党員でもあるしするから、その連盟の幹部をやはり警察署に呼んだ。そしてこれをとることに盡力してくれんかという態度に出たわけであります。そういうわけで朝鮮人連盟もやはり結局においては参加したわけです。ことの起りはなるほど新聞を見ると非常に大きく書いてあるのです。まるで計画的に警察を襲撃して、無警察状態に追い込んだ。一見すると騒擾罪の形を備えておりますが、私の見るところでは決してそうではないというふうに考えるのであります。先ほど猪俣氏が言われたように、その隣村に内郷というところがあります。そこには炭鉱が二つ、三つあるわけです。共産党が指導している炭鉱は矢郷炭鉱と壽炭鉱ですが、これはわれわれが考えた以上に給與問題が非常に劣惡で、今年の二月からはほとんど給料が欠配している。そうして大部分の人はもうたけのこ生活をしておるのですが、労働者ですからたけのこの皮もないわけです。しかたがないから草をとつて、いわゆるあかざを食べるとか、あるいはすかんぽをとつて來て食べるというようなことをしてまでも生活をしておる。それだからこのおかみさんたちは調味料を買つて配給してくれというような要求、それから米を賃金がないのだから掛賣りをしてくれというような要求をやつておつた。ところがそういう要求が町議会が通つたのです。しかるにその町会議長の菅本という人が、そういうことを町会で通過するのはおかしい、そんなことには疑いがあるということでひつ繰返してしまつた。そうして依然としてこの労働者の要求をはいれないわけです。いれない方向へ指導者は持つて行つたわけです。その町会におかみさんたちは非常に憤激したわけです。そうしている間にとにかく首切りが來まして、百三十七人という大量首切りをしまして、その首切りの仮処分というものが來たのです。その仮処分が結局執達吏が來ない先に、警察が非常にたくさん來て、労働者をどんどん彈圧したという事実であります。もつとも内郷の警察署の人もいましたが、それに対して平署から應援に行つた。その平署の人たちが應援に行つたことを労働者が非常に怒つたわけです。われわれの町の署がやるならいいけれども、見れば平の警察の諸君も來ておる、何も平から連れて來てまでわれわれ労働者が食えないというのを彈圧するというのはおかしい、けしからぬというので、内郷の警察署に対する憤激と同時に平市署に対する憤激というものが労働者の間に急激に高まつて來たわけです。そんなことでおるうちに、今度はさらにどうしても食えないから掛賣りを認めろ、調味料を買つてもらいたいということを要求して、それでまた一旦ひつ繰返した町議会をまた開いて、そのときにおかみさん方は一生懸命だから、どうしてもそういう議事を通してもらうというので、数十人のおかみさんたちが押しかけた。それに対して署として彈圧を加えられたのが、さつきのひつぱり出された古口巡査部長、これはもう特高的に労働組合を彈圧し、特にこの議会に対しては、彼が先頭に立つて取締りをやつて彈圧をしている。そういうことも非常に恨んでおつたということがわかつたわけであります。そうしてその間に、一方には平の町ではそういう掲示板問題が起きた。そうしてもう一言つけ加えなければならないのは、何ゆえに内郷の労働者の諸君が平の掲示板問題でそんなに口角あわを飛ばして憤慨したかということであります。これは新聞などはみな労働者の味方をしないのです。大体労働者を彈圧する傾向の記事ばかり書いてある。そうして彼らの味方をしてくれるようなものは、アカハタとか労働新聞とか壁新聞だけである。その掲示板がとられるということは、自分らの運動に対し、また自分らが一生懸命に首切りに鬪つているのに、非常に不利益である。だからこれはとられたらたいへんだという氣運が沸き起つたというのであります。そうして結局三十日の朝ごろ、むろん内郷の労働組合にもそれがみな傳わつて、どうしても内郷から應援に行かなければならぬというような考えを持つておつた。それでその人たちが内郷の警察署に抗議すると同時に、その足で午後三時ごろ平へ來たということであります。むろん警察へ行くということは考えて來たのだが、初めから警察の官舍をたたきこわすとか、あるいは乱入して、警察署長を監禁して強硬談判するとか、そういう考えでなかつたということは明らかであります。
 その点補足しますと、内郷の人たちが三時半ごろ平署へ行つたわけです。それは自動車に乘つて行つた。そうしてあそこの平署は私も見ましたが、新築したばかりで、横にはバラスを敷いた道路がある。それでその日は來るとすぐ雨が降つておつたらしいのです。それでとにかく署へ入ろうと思うのは、むろん交渉のためもあるが、雨も降るかたがたそこへ入ろうとした。そうすると警察署の言い方は、労働者の言い方とはいつでも全然反対のことを言うのですが、自動車からどやどやとおりてそこの玄関に入ろうとすると、いきなり金田という警部補が出まして、手で立ちふさいで、入つてはいかぬ、代表を選べと言つてさえぎつたそうですが、こつちの側からすれば、われわれは交渉に來たのだと言つていると、だんだん向うが強くなつて、一旦労働者はそれではというので引下つた。引下つたところが、向うの武装警官が約四人ないし七人どやどやと來て、手に手にこん棒を振つて労働者の先頭をなぐり始めた。そこで一人の警官はピストルを擬したという。それでなくても憤慨をしている労働者の一團ですから、そこでうしろにいる人たちが、前にいる人がなぐられるので、それを防衞するめに、道普請でたくさん敷いてあつたバラスをつかんで投げた。それで前の方のドアのガラスがみなこわれた。こまかい石ですから、上の方で写眞を写す者があつたから、上にも投げた。相当高いところの窓ガラスもこわれた。そうして結局それはわずか十五分くらいで靜まつた。それでみな入つて行つたのであります。署長室へは八十名が入つたけれども、大きな警察署ですからみな入つた。こつちから言うと、三百人はなかろう、二百五、六十人しかない。一ぱい入つたつてそんなに入らない。しまいにはたくさん入つたのですが、入つてから多少の罵言讒謗、惡口は言つたけれども、決して暴行脅迫したわけではない。そして夜の十一時ごろまで交渉をして、その間に署長をなぐるとか、おどかすというようなことはなかつた。大体において本流は靜かに交渉しておつた。それでいろいろな損害賠償の請求や何かは、先ほど猪俣君から報告した通りですが、八時ちよつと過ぎごろになると、下の留置場が騒ぎ出した。非常に新しい留置場ですが、入口を入るとすぐ留置場がある。その留置場の外から入るところのドアーがちよつとこわれております。これはどうして騒いだかと調べてみると、留置された人が救いを乞うた。助けてくれ助けてくれ……そこでその附近にいた人たちが、何だ、留置されているじやないか、われわれが交渉しているのに、われわれを檢束するのは不都合じやないかと騒ぎ出してやつたわけです。そこでそれはどうして檢束したかということを、代表者の方で聞いたところが、それはさつきガラスをこわしたときに檢束したのがある、しかし交渉しているのだから出してくれ、出そうというので、署長も命令をして出そうとしておつた。それがこつちの留置場の方に徹底しないうちに、こつちの方で盛んに騒いで、ドアーをたたきこわして数人の人が中に入つて行つた。しかし留置場からその檢束者をつかみ出したかどうかは非常に疑問です。これは見る人によつて違いますが、中の戸の錠が少しもいたんでいない。大したがんじような戸でないのにいたんでいない。だから結局これは署長の命か何かで、出すのは任意で出したのじやないかという見通しがあるわけです。これは議論でありますから、こまかいことは省略いたしますが、そういうことになる。そこであのピストルを持つていた巡査と非常にけんかをしたものだから、そのピストルをたたき落して、それがあいておつたから、その巡査をかわりにその中に入れた。これは確かである。ですから奪い出して入れたのではなくて、出すときにはあけて出した。これはこつちで出したのではない。向うの権限者が出した。そして騒いでいるうちに、巡査がピストルでなにするものだから、これをたたき落して、その巡査をたたき込んだ。これは押込んだらしい。これもそういう乱暴をするためにその人たちは入つていつたのではない。本流はどこまでも交渉しているのに、派生的にそういうことが起きた。しかしそれも靜まつた。それが八時半ごろだというのです。そして十一時ごろまで交渉して、十一時ごろになつて、柴田という市会議員が仲裁して、これはいつまで交渉しておつても水かけ論だから、明日にしようじやないか、その仲裁をいれて、両方で何のことなく別れたという事実であります。
 これを騒擾罪と見ることは、私は多年弁護士をやつておりますが、騒擾罪にはならないと思います。そんな目的じやない。ただ結果から騒いだというだけを見れば、それは騒擾罪になるかもしれないが、騒擾罪というものはおのずからその要件が必要なので、そうではないというふうに考えて來たのでございます。結局こういうことは惡いが、ここに至らしめた政治的の立場から見るならば、これは警察にもやはり責任があると思う。警察でその立看板を何ゆえにそんなに一日、二日を待つことができないで、それをとるというふうにしたか、それはむしろ共産党に対して挑発したかのようにも私ども思われる。一旦自分が許したものを、けんか腰になつてとるということは、自治警察としては大いに愼まなければならないのじやないか、こういうふうに私は考えております。むろんそういうことをしたことは、労働組合大衆の側が惡いし、そういうことをすればいけないということはきまりきつておるが、そういうことをやらせた、しかし治安を保持すべき権限のある警察署長が、そういうがんこのことをやつたということは、法律上の責任ではありませんが、その責任はむしろ警察署にある。そういうふうに見るのでありまして、この事件を通じて、警察署の民衆に対する態度というものが、もう少し理解あるところの指導と取締りをやるべきではないかということを痛感したのでございます。それで市会議員やその他いろいろな方面の人から聞きまして、その與える影響はどうかというと、口口にみな戰々きようきようとしておつたとか何とか言つておりました。ここでむりに入つたというのですが、そこに入るときに、内郷の諸君が先頭になつて入つたのですが、大衆が続いて入り、共産党の代表者も入り、朝鮮人連盟その他も入つた、これは事実ですが、どうしてもやつてはいかぬというように拒んだのではない。向うから言うと拒んだというし、拒まないにしても拒む力がないのでやむを得なかつた、こう言つておるのですが、入つたのも理由なく入つたわけじやないのです。そういう重要な交渉をするために入つたのであつて、そこを占拠するために入つたのではない。それからなるほど旗を掲げたらしいのですが、あそこには四角の柱があつて、ほんのわずか、一間か九尺もありますか、そういうふうになつておるから、旗の置きどころもないし、雨も降つてそとに置けないから、ほとんどじようだん的にぶつちがえてなわでゆわえた。これを警察署占領の初めからの案で、それが一つの証拠だというけれども、それはほとんどじようだん的なものであるように、私は写眞だけですが見た。ちようどその門は非常に高い四角の柱のコンクリートであり、四角の柱が大きい。それにちようどちがえるというと、ゆわえつけて二本置かれるというような状態の門柱がちようどあつたわけです。それにやつたわけです。市会議員とか、あるいはわれわれの接触した場面は、そういういわばわれわれから見ると向うの支配階級で、老人の諸君ばかりである。その人たちに聞けば、共産党の何はまつたく騒擾のように言つて、戰々きようきようとしたということを言つておりますが、実際私はほかの人たちにも非公式に聞いたけれども、そう大した何も――警察をあれしたからといつて人民が不安を感じたというのは、ある一部の人であつて、平市の人全部が戰々きようきようとしたという程度ではないのであります。それから警察署の人たちの言うことは、それはまつたくあべこべのことを言つております。あべこべのことを言つておりますが、私の反対側の主張、多少主観を入れたかもしれませんが、そういう主張は決してまんざらうそではない。結局原因はこつちがむろん惡いが、その騒擾を起すようなことがあつたということは、警察署にも大分責任がある。それから内郷署の警察へ抗議に行つたのも、労働組合に対する彈圧、これが非常に原因をなしておる、そういうわけでございます。檢事局としては騒擾罪で調べるとか何とか言つておるようであります、しかし騒擾罪といつても、上の頭の人は大体逃げておる。ですから刑務所に行つて調べましたが、刑務所に行つておる諸君は石を投げた人は一人もいない。つかまつたのは二十何人おりますが、石を投げたのは一人もいない。ですから石を投げたのは非常に惡い。これが乱暴したわけであります。この人があがらぬものですから、一網打盡に騒擾罪としてひつかけようとしているが、これは檢察廳がはたして騒擾罪ときめてやつておるのかどうか、まだわからない。そういう方針で調べると言つておりました。要するに猪俣氏の大体の報告の通りでありますが、結局今度の原因は、こちらの側もそこに押し寄せた、大勢行つた、そうして被害があるということは、これは認めますが、それが全部騒擾罪であり、そうしてそういうことはやらなくてもよかつたのであるが、やつたというふうには見えない。原因を調べてみると、警察が相当責任をとらねばならぬ点がある、こういうふうに見るわけであります。これはあとでまた書面の報告が出ると思いますが、私どもの方は掲示板撤去命令に対する報告書という、これを提出しておきますが、これが大体こつちの掲示板を撤去するいきさつの事実であります。これになんらかのかわりはないはずであります。これを後に提出いたします。口頭の補充としては、私はそのくらいにしておきます。



新字版
昭和24年07月13日 衆議院 法務委員会
[004]
日本共産党 上村進
 私も今度の調査団の一人として四日に参つて、八日の日まで、最後までおつたわけです。大体概略は猪俣委員が申された通りでありますが、なお多少落ちておる。そうして私は一方の警察とけんか相手の共産党の石城地区委員の人たちとお話したのでありまして、多少主観が違いますが、その主観の違うこともまたここで述べておく必要があると思う。お前共産党だからそう言うのだろうとお聞きになる方があるかもしれませんが、しばらく御清聴を願いたいと思います。
 大体猪俣氏が言われたように、直接の原因はまことにささいな、つまらないことで、共産党の壁新聞の掲示場を今より七十日ばかり前から許してあつたわけです。そこは平の停車場から出ますと広場の前に大通りがありますが、その大通りをちよつと右へ行つた二、三十間の所の、県道のどぶのはたに許可されてあるわけであります。そうしてそれは今までは何のこともなく、ずつと共産党のアカハタ、もしくは壁新聞、その他ポスター、そういうものを掲げて共産党の宣伝、情報をそこへ掲示しておつたのでございます。それをとれ、とらない、急に交通妨害だからとれということが六月の二十五日から始まつたわけです。こつちは決してとらないというわけじやない、とる、とるにしても行先を探したりいろいろするから、しばらくかすに余裕をもつてしてもらいたい、こういう交渉をしておつた。それが許された。いろいろしてずつと来て、結局その間に警察の方で硬化して、どうしても三十日一ぱいにとつてしまえということが問題になつたわけであります。だからこんなつまらないことでこんな問題になつたら、何か底にあるだろうというわけでいろいろ臆測をされておりますが、私の調査したものによれば、決して底もなければふたもありやしない。ただ今まで許されたものが急にとれ、しかも断固として三十日以内にとれというから、そこに多少軋轢がはげしくなつたということにすぎないのであります。それが共産党の側の根本的な態度でございます。人数が少し多くなつたということから評判になつたわけであります。そこで共産党としてもできるだけ大勢の大衆をあれして、最後には団体交渉をやろうという考えは持つておつたらしい。しかしそれは計画をしておつても、それを実行しようとしておつたわけじやないのであつて、終始代表をあげて、地区の委員長あるいは常任委員、ことに共産党に属しているものに朝鮮人連盟がありますが朝鮮人連盟は別に初めから団体としてこれに応援していたわけじやないのです。共産党員が朝鮮人連盟の幹部におるわけです。金明福という人です。この人もそういうわけですし、ちようど朝鮮人連盟の前は警察の宿舎ですが、そんなわけで朝鮮人の人は、警察にはときによつては非常にけんかをしますけれども、ふだんは仲よくしているという形です。特に平の朝鮮人連盟はそういう形で党員でもあるしするから、その連盟の幹部をやはり警察署に呼んだ。そしてこれをとることに尽力してくれんかという態度に出たわけであります。そういうわけで朝鮮人連盟もやはり結局においては参加したわけです。ことの起りはなるほど新聞を見ると非常に大きく書いてあるのです。まるで計画的に警察を襲撃して、無警察状態に追い込んだ。一見すると騒擾罪の形を備えておりますが、私の見るところでは決してそうではないというふうに考えるのであります。先ほど猪俣氏が言われたように、その隣村に内郷というところがあります。そこには炭鉱が二つ、三つあるわけです。共産党が指導している炭鉱は矢郷炭鉱と寿炭鉱ですが、これはわれわれが考えた以上に給与問題が非常に劣悪で、今年の二月からはほとんど給料が欠配している。そうして大部分の人はもうたけのこ生活をしておるのですが、労働者ですからたけのこの皮もないわけです。しかたがないから草をとつて、いわゆるあかざを食べるとか、あるいはすかんぽをとつて来て食べるというようなことをしてまでも生活をしておる。それだからこのおかみさんたちは調味料を買つて配給してくれというような要求、それから米を賃金がないのだから掛売りをしてくれというような要求をやつておつた。ところがそういう要求が町議会が通つたのです。しかるにその町会議長の菅本という人が、そういうことを町会で通過するのはおかしい、そんなことには疑いがあるということでひつ繰返してしまつた。そうして依然としてこの労働者の要求をはいれないわけです。いれない方向へ指導者は持つて行つたわけです。その町会におかみさんたちは非常に憤激したわけです。そうしている間にとにかく首切りが来まして、百三十七人という大量首切りをしまして、その首切りの仮処分というものが来たのです。その仮処分が結局執達吏が来ない先に、警察が非常にたくさん来て、労働者をどんどん弾圧したという事実であります。もつとも内郷の警察署の人もいましたが、それに対して平署から応援に行つた。その平署の人たちが応援に行つたことを労働者が非常に怒つたわけです。われわれの町の署がやるならいいけれども、見れば平の警察の諸君も来ておる、何も平から連れて来てまでわれわれ労働者が食えないというのを弾圧するというのはおかしい、けしからぬというので、内郷の警察署に対する憤激と同時に平市署に対する憤激というものが労働者の間に急激に高まつて来たわけです。そんなことでおるうちに、今度はさらにどうしても食えないから掛売りを認めろ、調味料を買つてもらいたいということを要求して、それでまた一旦ひつ繰返した町議会をまた開いて、そのときにおかみさん方は一生懸命だから、どうしてもそういう議事を通してもらうというので、数十人のおかみさんたちが押しかけた。それに対して署として弾圧を加えられたのが、さつきのひつぱり出された古口巡査部長、これはもう特高的に労働組合を弾圧し、特にこの議会に対しては、彼が先頭に立つて取締りをやつて弾圧をしている。そういうことも非常に恨んでおつたということがわかつたわけであります。そうしてその間に、一方には平の町ではそういう掲示板問題が起きた。そうしてもう一言つけ加えなければならないのは、何ゆえに内郷の労働者の諸君が平の掲示板問題でそんなに口角あわを飛ばして憤慨したかということであります。これは新聞などはみな労働者の味方をしないのです。大体労働者を弾圧する傾向の記事ばかり書いてある。そうして彼らの味方をしてくれるようなものは、アカハタとか労働新聞とか壁新聞だけである。その掲示板がとられるということは、自分らの運動に対し、また自分らが一生懸命に首切りに闘つているのに、非常に不利益である。だからこれはとられたらたいへんだという気運が沸き起つたというのであります。そうして結局三十日の朝ごろ、むろん内郷の労働組合にもそれがみな伝わつて、どうしても内郷から応援に行かなければならぬというような考えを持つておつた。それでその人たちが内郷の警察署に抗議すると同時に、その足で午後三時ごろ平へ来たということであります。むろん警察へ行くということは考えて来たのだが、初めから警察の官舎をたたきこわすとか、あるいは乱入して、警察署長を監禁して強硬談判するとか、そういう考えでなかつたということは明らかであります。
 その点補足しますと、内郷の人たちが三時半ごろ平署へ行つたわけです。それは自動車に乗つて行つた。そうしてあそこの平署は私も見ましたが、新築したばかりで、横にはバラスを敷いた道路がある。それでその日は来るとすぐ雨が降つておつたらしいのです。それでとにかく署へ入ろうと思うのは、むろん交渉のためもあるが、雨も降るかたがたそこへ入ろうとした。そうすると警察署の言い方は、労働者の言い方とはいつでも全然反対のことを言うのですが、自動車からどやどやとおりてそこの玄関に入ろうとすると、いきなり金田という警部補が出まして、手で立ちふさいで、入つてはいかぬ、代表を選べと言つてさえぎつたそうですが、こつちの側からすれば、われわれは交渉に来たのだと言つていると、だんだん向うが強くなつて、一旦労働者はそれではというので引下つた。引下つたところが、向うの武装警官が約四人ないし七人どやどやと来て、手に手にこん棒を振つて労働者の先頭をなぐり始めた。そこで一人の警官はピストルを擬したという。それでなくても憤慨をしている労働者の一団ですから、そこでうしろにいる人たちが、前にいる人がなぐられるので、それを防衛するめに、道普請でたくさん敷いてあつたバラスをつかんで投げた。それで前の方のドアのガラスがみなこわれた。こまかい石ですから、上の方で写真を写す者があつたから、上にも投げた。相当高いところの窓ガラスもこわれた。そうして結局それはわずか十五分くらいで静まつた。それでみな入つて行つたのであります。署長室へは八十名が入つたけれども、大きな警察署ですからみな入つた。こつちから言うと、三百人はなかろう、二百五、六十人しかない。一ぱい入つたつてそんなに入らない。しまいにはたくさん入つたのですが、入つてから多少の罵言讒謗、悪口は言つたけれども、決して暴行脅迫したわけではない。そして夜の十一時ごろまで交渉をして、その間に署長をなぐるとか、おどかすというようなことはなかつた。大体において本流は静かに交渉しておつた。それでいろいろな損害賠償の請求や何かは、先ほど猪俣君から報告した通りですが、八時ちよつと過ぎごろになると、下の留置場が騒ぎ出した。非常に新しい留置場ですが、入口を入るとすぐ留置場がある。その留置場の外から入るところのドアーがちよつとこわれております。これはどうして騒いだかと調べてみると、留置された人が救いを乞うた。助けてくれ助けてくれ……そこでその附近にいた人たちが、何だ、留置されているじやないか、われわれが交渉しているのに、われわれを検束するのは不都合じやないかと騒ぎ出してやつたわけです。そこでそれはどうして検束したかということを、代表者の方で聞いたところが、それはさつきガラスをこわしたときに検束したのがある、しかし交渉しているのだから出してくれ、出そうというので、署長も命令をして出そうとしておつた。それがこつちの留置場の方に徹底しないうちに、こつちの方で盛んに騒いで、ドアーをたたきこわして数人の人が中に入つて行つた。しかし留置場からその検束者をつかみ出したかどうかは非常に疑問です。これは見る人によつて違いますが、中の戸の錠が少しもいたんでいない。大したがんじような戸でないのにいたんでいない。だから結局これは署長の命か何かで、出すのは任意で出したのじやないかという見通しがあるわけです。これは議論でありますから、こまかいことは省略いたしますが、そういうことになる。そこであのピストルを持つていた巡査と非常にけんかをしたものだから、そのピストルをたたき落して、それがあいておつたから、その巡査をかわりにその中に入れた。これは確かである。ですから奪い出して入れたのではなくて、出すときにはあけて出した。これはこつちで出したのではない。向うの権限者が出した。そして騒いでいるうちに、巡査がピストルでなにするものだから、これをたたき落して、その巡査をたたき込んだ。これは押込んだらしい。これもそういう乱暴をするためにその人たちは入つていつたのではない。本流はどこまでも交渉しているのに、派生的にそういうことが起きた。しかしそれも静まつた。それが八時半ごろだというのです。そして十一時ごろまで交渉して、十一時ごろになつて、柴田という市会議員が仲裁して、これはいつまで交渉しておつても水かけ論だから、明日にしようじやないか、その仲裁をいれて、両方で何のことなく別れたという事実であります。
 これを騒擾罪と見ることは、私は多年弁護士をやつておりますが、騒擾罪にはならないと思います。そんな目的じやない。ただ結果から騒いだというだけを見れば、それは騒擾罪になるかもしれないが、騒擾罪というものはおのずからその要件が必要なので、そうではないというふうに考えて来たのでございます。結局こういうことは悪いが、ここに至らしめた政治的の立場から見るならば、これは警察にもやはり責任があると思う。警察でその立看板を何ゆえにそんなに一日、二日を待つことができないで、それをとるというふうにしたか、それはむしろ共産党に対して挑発したかのようにも私ども思われる。一旦自分が許したものを、けんか腰になつてとるということは、自治警察としては大いに慎まなければならないのじやないか、こういうふうに私は考えております。むろんそういうことをしたことは、労働組合大衆の側が悪いし、そういうことをすればいけないということはきまりきつておるが、そういうことをやらせた、しかし治安を保持すべき権限のある警察署長が、そういうがんこのことをやつたということは、法律上の責任ではありませんが、その責任はむしろ警察署にある。そういうふうに見るのでありまして、この事件を通じて、警察署の民衆に対する態度というものが、もう少し理解あるところの指導と取締りをやるべきではないかということを痛感したのでございます。それで市会議員やその他いろいろな方面の人から聞きまして、その与える影響はどうかというと、口口にみな戦々きようきようとしておつたとか何とか言つておりました。ここでむりに入つたというのですが、そこに入るときに、内郷の諸君が先頭になつて入つたのですが、大衆が続いて入り、共産党の代表者も入り、朝鮮人連盟その他も入つた、これは事実ですが、どうしてもやつてはいかぬというように拒んだのではない。向うから言うと拒んだというし、拒まないにしても拒む力がないのでやむを得なかつた、こう言つておるのですが、入つたのも理由なく入つたわけじやないのです。そういう重要な交渉をするために入つたのであつて、そこを占拠するために入つたのではない。それからなるほど旗を掲げたらしいのですが、あそこには四角の柱があつて、ほんのわずか、一間か九尺もありますか、そういうふうになつておるから、旗の置きどころもないし、雨も降つてそとに置けないから、ほとんどじようだん的にぶつちがえてなわでゆわえた。これを警察署占領の初めからの案で、それが一つの証拠だというけれども、それはほとんどじようだん的なものであるように、私は写真だけですが見た。ちようどその門は非常に高い四角の柱のコンクリートであり、四角の柱が大きい。それにちようどちがえるというと、ゆわえつけて二本置かれるというような状態の門柱がちようどあつたわけです。それにやつたわけです。市会議員とか、あるいはわれわれの接触した場面は、そういういわばわれわれから見ると向うの支配階級で、老人の諸君ばかりである。その人たちに聞けば、共産党の何はまつたく騒擾のように言つて、戦々きようきようとしたということを言つておりますが、実際私はほかの人たちにも非公式に聞いたけれども、そう大した何も――警察をあれしたからといつて人民が不安を感じたというのは、ある一部の人であつて、平市の人全部が戦々きようきようとしたという程度ではないのであります。それから警察署の人たちの言うことは、それはまつたくあべこべのことを言つております。あべこべのことを言つておりますが、私の反対側の主張、多少主観を入れたかもしれませんが、そういう主張は決してまんざらうそではない。結局原因はこつちがむろん悪いが、その騒擾を起すようなことがあつたということは、警察署にも大分責任がある。それから内郷署の警察へ抗議に行つたのも、労働組合に対する弾圧、これが非常に原因をなしておる、そういうわけでございます。検事局としては騒擾罪で調べるとか何とか言つておるようであります、しかし騒擾罪といつても、上の頭の人は大体逃げておる。ですから刑務所に行つて調べましたが、刑務所に行つておる諸君は石を投げた人は一人もいない。つかまつたのは二十何人おりますが、石を投げたのは一人もいない。ですから石を投げたのは非常に悪い。これが乱暴したわけであります。この人があがらぬものですから、一網打尽に騒擾罪としてひつかけようとしているが、これは検察庁がはたして騒擾罪ときめてやつておるのかどうか、まだわからない。そういう方針で調べると言つておりました。要するに猪俣氏の大体の報告の通りでありますが、結局今度の原因は、こちらの側もそこに押し寄せた、大勢行つた、そうして被害があるということは、これは認めますが、それが全部騒擾罪であり、そうしてそういうことはやらなくてもよかつたのであるが、やつたというふうには見えない。原因を調べてみると、警察が相当責任をとらねばならぬ点がある、こういうふうに見るわけであります。これはあとでまた書面の報告が出ると思いますが、私どもの方は掲示板撤去命令に対する報告書という、これを提出しておきますが、これが大体こつちの掲示板を撤去するいきさつの事実であります。これになんらかのかわりはないはずであります。これを後に提出いたします。口頭の補充としては、私はそのくらいにしておきます。
前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。