昭和25年02月10日 衆議院 法務委員会 [002][034] 民主自由党 田嶋好文

昭和25年02月10日 衆議院 法務委員会
[002]
民主自由党 田嶋好文
※鳥取検察庁米子支部全焼、鳥取地方裁判所米子支部全焼
まずその結果現われました事実については、鳥取米子支部の件から御報告を申し上げます。この米子支部の事件と申しますのは、いまだ捜査の継続中の事件でありまして、放火といたしましても犯人の検挙を見ておりませんし、検察当局におきましても、まだはっきりした結論を生み出し得ていないのであります。

この事件は昭和24年の9月13日午前3時、鳥取検察庁米子支部の検事事務官室付近より出火いたしまして、裁判所と検察庁が全焼をいたした事件であります。当時出火現場の状況といたしましては、出火付近には検察庁の証拠品倉庫がありまして、その証拠品倉庫の中には、密輸入によりましてあがりました生ゴムが600~700貫と、その他の押収品、現金20万円が入っておったそうであります。ちょうど米子方面におきましては、夏期の終りでありました関係上、水道が渇水のために夜間は断水をしておった。こういう状況になっております。

その後これを中心といたしまして捜査が進められているのでありますが、捜査の方針は、検察庁と自治警察、国家警察が合議の上で、もっぱら検察庁に起った火事であるからというので、米子自治警察が中心となってやることに合議がまとまっておるそうであります。この合議のもとに警察は捜査方針を立てて今進めておるのでありますが、この捜査につきましては、当時から現在まで失火説と放火説が相わかれておるようであります。失火説を唱えておったものは、自治警察の3分の1のものであり、放火説を唱えておったものは、自治警察の3分の2のものだそうであります。

特に失火説を唱えましたのは、後に報告いたすのでありますが、不正事件であげられました永富部長というのが中心となりまして、盛んに失火説を唱え、部下を指揮して失火の材料拾集に当っておったということであります。

まず失火説の根拠となる点は、当時現場検証をいたしましたところが、出火の地点と思われる場所から、電気のこんろと鉄の鍋が出た。この電気のこんろと鉄のなべは、当時吉岡という雇が御飯を炊いておったという事実がありますので、その電気こんろに鉄なべをかけ、御飯を炊いておったとき、漏電のために出火を来たしたのだという意味にこれが解釈されて、失火説が立てられまして捜査が始まったようであります。

しかしその後の出火の捜査に対しましては、当時い合せました検察事務官の証言、その他電気こんろの実地検証、鉄なべの実地検証等によりまして、そこにおいて飯を炊いておった事実がないということが、ほぼ明確になって参りまして、失火としてもこの器具によって出火したものではないということが確実視せられて来たようでありまして、漸次失火説は下火になったばかりでなく、ほとんど失火説がなしになっておるというのが、現在の状況ではないかと報告できると思うのであります。

次に放火説でありますが、この放火説に対しましては相当な根拠があるようでありまして、放火説を立てるにつきましての資料を調べましたところが、こうした資料がわれわれの手元に集められたのであります。

先ほど申し上げましたように、火事が起りましたのは昭和24年9月13日でありますが、9月8日に、当時日本で騒がれましたあの朝鮮連盟の解散が行われております。その解散が行われるについて、この地区におきましては、相当に混乱が巻き起りまして、朝鮮連盟の解散に対しては、警察、県庁、検察庁、協力いたしましたが、解決に苦慮いたしておったようであります。特に、苦慮したばかりでなく、警察並びに県庁は検察庁の梶川検事に応援を求められまして、当時検察庁の米子支部の支部長でありますところの梶川検事が、応援のために解散現場に乗りつけております。

ところがこの梶川検事に対しましては、日ごろ非常にこの人がやり手だというようなことで、朝鮮連盟も相当に反感を持っておったらしく、梶川検事の顔を見るやいなや、朝鮮連盟の事実上の支配者であるところの某氏は梶川検事をにらみつけまして、いろいろと放言しておった。こういう事実があがっているばかりでなく、委員長や副委員長は、必ずこのかたきはとってやる、いまにこのかたきはとってやると盛んにそこで豪語しておったという事実があがっております。またこれがために裁判所、検察庁の焼打ちがあるといううわさが、米子にはもっぱら流布されまして、米子検察庁、裁判所はこの焼打ちに対処するために留守番を増しまして、これが監督を厳重にするというような手段もとったようであります。

この手段がとられまして、もうこれでいいだろうということになりまして、解除いたしましたのが9月12日でありますが、監視の解除をいたしましたあくる日の13日にこの怪火が発生をいたしているわけであります。

また朝鮮連盟の解散とこの放火とにらみ合せて、こういう事実が言われているのでありますが、またその前後に、日本共産党の米子支部と朝鮮連盟との会合が市内の各所で頻々と行われております。特に先ほど申しましたところの朝鮮連盟の事実上の支配者であるところの某氏が、常にこの会合に顔を出しまして、いろいろとこの会合のあっせんをしているという事実がわかっております。なお、当時は共産党の事件がこの裁判所に2件繋属しておりまして、いずれもこの事件は相当もめて難航を来しておった事実もわかっております。

また先ほど申しました朝鮮連盟の事実上の支配者であるところの某氏と最も懇意な間柄にありますところの朝鮮連盟の某氏は、梶川検事のために前後4回暴力行為であげられまして、この人の事件も相当むずかしい事件として、裁判所が手を焼いておったようでありますが、遂に事実審理を終了いたしまして、放火のその日、13日に判決の言渡しがきまっておったような事情も現われております。

そうしてまたこの某氏の公判の日には、その某氏が朝鮮連盟の事実上の支配者であるところの某氏と連れだって参りまして、公判に出席いたしまして、廊下におきまして梶川検事をにらみつけ、このうらみははらしてやるから覚えておれというような暴言を吐いたという事実も現われております。

なお、この朝鮮連盟の事実上の支配者であるところの某氏の火災当日の行動として、捜査当局の言うところを聞きますと、相当に疑わしい、事件と関連があるとにらまれるところの行動が2、3あがっているのでありまして、これ等も放火の非常に重要な資料として捜査当局が握っているようであります。



[034]
民主自由党 田嶋好文
それでは先ほどの続きを申し上げます。先ほど火災当日の行動は、非常にその放火と関係があるような事実があがっておるというところで打切っておきましたが、これに関連いたしまして、まことにいまわしいことでありますが、米子市警察におけるところの捜査の第一線に立っておりました刑事部長に、先ほどもちょっと名前を申し上げました永富というのがおりますが、この永富というのは、実に腐敗した警察官でありまして、常に市内の暴力団、窃盗団、博徒、朝鮮連盟の方々等と内通をいたして、検察庁なり警察が犯罪を検挙しようとした場合、この検挙に妨害を与えておったという事実が現われておるのであります。この永富は遂にこうした事実が判明いたしまして、捜査の途中でありますところの10月の14日には人権蹂躙の容疑で検挙せられまして、現在人権蹂躙事件といたしまして、裁判に係属をいたしておるのであります。

こういうようなことがありましたために、先ほどから申し上げましたところの事実がありながら、なかなか検挙するに困難を来し、捜査上も捜査の線が非常にむずかしかったということがわかるのであります。

次にこの永富を検挙いたしました結果、暴力団や窃盜団や博徒、朝鮮連盟等の活動状況が、妨害者がいなくなったのでわかりやすくなりまして、市の警察、検察当局では、協力の上、遂にこれらの分子に対する一斉検挙を行使いたしたのでありますが、その中に元市の刑事をしておりました某というのがおりまして、これが窃盜の親分格となって、臓物の一手引受けをやっておったという行動があがったのでありますが、この某が、先ほどから申し上げおりますところの朝鮮連盟の実質上の支配者である某氏が、自分の知る範囲においては火をつけたのであるという証言を、はっきりいたしておるのでありますが、それ以上追究いたしますと、どうも自分の生命があぶなくなるから、これ以上は追究してもらっては困るということで、ただつけたという事実だけを証言いたしまして、こまかい事実は証言を拒んでおるそうであります。これらも、この事件を放火とする上において非常に有力な資料となっておるものと考えます。

また米子地区には、御存じのように朝鮮人がたくさん居住いたしまして、鳥取県下には朝鮮人が3000名いるのでありますが、この3000名のうち3分の2が米子を中心として生活しておる。しかも米子市にはそのうちの600名が居住しておるというような分布状況になり、またこの米子地区を中心といたしまして、ほとんど手放しといってもよいくらいの状況におきまして、朝鮮と日本との間に密貿易、密入国が行われておるという事実も現われております。

※米子保険所全焼、食糧公団米子支所全焼
次にこの米子地方におきましては、裁判所、検察庁の火災ということばかりではなく、本年1月8日に米子の保健所が全焼いたしておりますし、またわれわれの調査に向いましたところの前の日、本年1月30日には、食糧公団の米子支所から出火いたしまして全焼いたし、これもまだ犯人がわからない。こういうふうに公共建物の火災という、ものが継続的に起っておりまして、この公共建物の火災というのは、失火と見るよりも、継続的に起っておる関係上放火ということを裏づける証拠になるものと存ずるのであります。

右の事実のほかに、たまたま鳥取の検察庁の米子支部の庶務課長に正木というのがおるのでありますが、これは昭和23年12月26日に、公金20数万円を窃盜して、現金公金1万円を横領したというかどで裁判になりまして、この裁判が火災当時の裁判所に係属いたしております。またこの正木庶務課長と先ほどから申しておりますところの朝鮮連盟の実質上の支配者であるところの某氏とは、日ごろから非常に懇意につき合っておったのであります。このように放火と認めるところの資料につきましては、事実があがっておりまして、われわれといたしましても、この事実等を総合いたしますと、この事件は失火でなくして、どうしても放火と見なければならないような気がいたすのであります。

それではこの事件が多数の日月を費しながら、なぜ検挙されないかと申しますと、まことに遺憾なのでありますが、米子地方におきますところの警察と検察庁の問題、保安庁の問題等も一応調査団といたしましては報告する義務があるかのように考えられます。

米子の自治警察は、先ほども少し触れたのでありますが、刑事部長に永富という男がありまして、これが地方の窃盜団、暴力団、博徒、朝鮮連盟等々と内通しておりました事実をもってもわかりますように、まことに一部の人間には腐敗があるのでありまして、遺憾ながら放火当時には、この腐敗が是正されてなかった。だからして公安委員会の威令等も必然的に行われず、公安委員、自治警察を通じまして、まことに遺憾な状態が見受けられるのであります。

しからば国家警察はどうであるかと申しますと、国家警察は内部的には腐敗の事実はなかったようでありますが、国家警察と自治警察がわかれました当初から、どうも人員の配置問題、設備の利用問題等から感情に齟齬を来しまして、以後自治警察と国家警察との間に協力態勢というものが確立されていなかったという事実が認められるのであります。

検察庁はどうであったかと申しますと、検察庁は前支部長でありますところの角田検事当時には、とかくその個人的行動に対しまして市民の批評があり、芳ばしからざるうわさも立ったようでありますが、新しく赴任されました梶川検事は非常に明朗にして手腕家で、事務をよく遂行する方とだれにも言われておりまして、私どもお会いいたしましたが、その点が認められるのであります。

梶川検事の赴任以来相当検挙件数もあり、相当に事務的な方面も整理されたようでありますが、やはりこれにも遺憾ながら自治警察等の内部と同じように、事務官の一部に、先ほど申し上げましたように不正が現われておりまして、いまだその関係が全面的に是正されたかどうかということに対しましては、一応の疑問がなければならないのであります。

そういうような関係からいたしまして、事件当時におきましては、検察庁と自治警察、国家警察の密接なる協力態勢というものが確立をされていなかった、これも欠いていると認めざるを得ません。

海上保安に至りましては、まったく手放しで密貿易を許しておるような状態でありまして、協力しなければならない海上保安と自治警察、国家警察との間の協力も全然できておりません。こういうような協力態勢を欠いておるという大きな事実があるために、前述いたしました放火と認められるところの証拠がありながら、いまだ検挙に至らないという遺憾な状態があるものとわれわれは考えなければならないのであります。以上が米子地方を調査いたしましたところの調査団の報告の事実であります。

※福井刑務所集団放火逃走未遂
次に金沢刑務所、福井刑務所の集団逃走事件につきまして、御報告を申し上げます。この集団逃走事件は、当時福井市におきましては、相当やかましく言われまして、人心を撹乱したところの事件でありますが、その事件の内容として当時言われた事柄はこういうようなことであります。

福井の刑務所に収容せられております男に窪田暹というのがおりますが、この窪田暹という男は前科数犯、しかもこの前科は傷害、恐喝というような前科が数犯あるのでありまして、現在も恐喝のために1年半の懲役刑を受けまして服罪いたしております。この男の身分関係はと申しますと、今福井県下で一番大きな暴力団の親分として言われておる団体に津一家というのがありまして、これは津原某が主宰しておるようでありますが、窪田はその津原の兄弟分に当っております。この窪田が主謀者となりまして、当時福井刑務所に収容をせられておりました、既決囚ではございません被告を中心といたしまして、集団逃走の計画が樹立されたということであります。

集団逃走の計画をいたしました連中は、常に刑務所内の休憩遊戯場を利用し、また書信場を利用いたしまして、放火につきましての打合せを行っておったようであります。この放火についての打合せが一応完了いたしますや、彼らは昨年の10月16日を期しまして、窪田が外部の団体と連絡をいたし、外部からはピストルをもってこれが応援に当った。内部の者はこれに呼応して房を破壊いたしまして、集団行動をもって、監視等に暴力を加えてその抵抗をはばみ、刑務所に放火をいたしますと同時に、全員が火の中をくぐって逃走するという計画があるものといわれておったのであります。

この事実を確めるがために、私たちは窪田を中心にいたしましていろいろと調査いたしましたが、その調査の結果こういうような事実が判明いたしました。

窪田は刑務所に入っております共産党員であるところの千震昊、新田某という連中と、運動場におきましてしばしば面接をして、何か話をしていたばかりでなく、窪田は共産党入党を勧められたような事実もあるばかりでなく、共産党入党の決意をいたしまして、これが手続をする必要も考えられるのでありますが、共産党の福井地区委員でありますところの小林義親という者に刑務所から書面を出しまして、小林義親を呼びまして、9月の12日に小林と窪田が面接をいたしておるのであります。面接の問答はあとで御報告申し上げます。

なお窪田は先ほど申し上げましたように、津一家の兄弟分であります関係上、その16日を中心といたしまして、津一家の連中とひんぴんとして面接が行われております。まず津の親分でありますところの津原が窪田のところに今まで来ていなかったのに、その日を中心といたしまして2回面会をいたしております。津原の妻も面会をいたしております。また先ほど法務総裁から団体等規正令に触れるものとして解散を受けた和田組というのが武生にあるのでありますが、この和田組の主宰者和田が同様窪田に面会をいたしまして、いろいろと話をいたしておる事実も上っております。和田ばかりでなく、津の一家に伊加賀その他暴力団の一方の親分があるのでありますが、これらも放火の日を中心にして窪田に面接しておる。今まで面接の少かった窪田が、その日を中心にして津一家の暴力団とひんぴんとして連絡がとられておった。どういう話が行われたかわかりませんが、連絡話合いが行われておった。こういう事実が現われておるのであります。

また窪田は朝鮮連盟に属しておりますところの共産党員である千震昊、それからこれは共産党員でないのでありますが、洪成杓、それから林銀洙というような人間とは、この刑務所の中においてしばしば交渉が行われ、連絡がとられておった事実が調査の結果わかりました。

この事実のみによりましては、やはり先ほど言われましたところの集団放火逃走というような、まだ裁判となるべき資料は現われておりませんので、検察当局といたしましても、放火等の嫌疑に対する起訴はできなかったものと見えまして、一応はっきりした事実のもとに、これらの事件は福井刑務所の集団逃走未遂事件といたしまして起訴をされておるようであります。その人たちは窪田の指図に従ったというところの茂住金太郎、森川國夫、朝鮮人の林銀洙、岩本政一、橋本稔、正木安夫、藤井澄太というような人間になっております。

起訴状の事実は、その被告人等はいずれも福井刑務所に勾留中の未決または既決の囚人であるが、共謀の上昭和24年10月14日夜12時を期し、同所から逃走することを企て、被告人茂住金太郎が竹製のはし、または帯皮の金具、金属破片等を使用して、第1舎未決房第14房の表壁の一部を破損したのが発覚し、その目的を遂げなかったものであるという事実になっております。

こういうようなはっきりした事実で現在裁判が係属いたしておりますが、その他の事実につきましては、いまだ捜査当局において捜査中とわれわれは報告を受けました。以上が福井刑務所の集団逃走事件の報告すべき事実であります。

※福井県今立国家警察署放火
次に福井県の今立国家警察署の放火事件でありますが、これは先般武生裁判所、検察庁の放火事件で検挙せられまして、唯一の自白者であり、有力なる放火の被告人の1人に林好視というのがおりましたことは、この前報告した通りであります。この林好視が武生同様に今立国家警察署にも放火をしたという自白をいたしておりまして、これ1人が放火犯人として現在裁判になっております。

だが今立国家警察署の放火は、事務室の廊下に火をつけておりまして、この廊下の火つけは1箇所でなく、2箇所に同時に火をつけております。しかもこの火つけはまきを持って参りまして、そのまきにガソリン様の液体をぶっかけてそうして火をつけておりまして、しかもこの事務所は1階でなく、2階の事務所に火をつけておるのでありますから、これを運搬するためには、はたして1人で可能なりやいなやという疑問が起って参ります。また2階でございますから、どうしても上って行くためにははしごをかけなければなりません。はしごをかけて行くとすれば、はしごを上って行くのに、火つけのまきの束を持って、ガソリンを入れた一升ビンを下げて、はたして2箇所に放火ができるかどうかという、常識では判断することのできない事実がありますので、この事実と、林1人でやったという林の言い分とはくっつかない点が多分に出て参りまして、林1人というので現在林1人が裁判になっておりますが、これも捜査当局におきましては、林1人じゃないのじゃないかというような疑いを持ちまして、いまだ捜査は継続中であると承っております。これが今立国家警察署における放火事件の簡単な報告でございます。

※福井地方裁判所武生支部全焼、福井地方検察庁武生支部全焼
最後に武生の問題でありますが、これは先般詳しく御報告申し上げましたので、詳しい報告は今回は一応省略させていただきますが、われわれ調査団が武生に乗り込みました当時、武生においては青年団、婦人会が中心になりまして、市長、市会議員に対するリコール問題が持ち上っておりました。私たちはこれを非常に興味深く眺めますと同時に、その真相をただしたのでありますが、このリコールは非常にまじめな分子がまじめに行われたということを確認するに至りました。

しかもこのリコールは、われわれ国会の調査員が武生に参りまして、その調査をいたしました結果がこの国会で報告されると同時に、新聞社の御協力を得まして武生市民、日本全国に伝えられ、ためにここに籍を持つところの青年男女はこのボス政治を退治いたしますと同時に、武生から暴力団的勢力を駆逐して、明朗な民主政治を確立するために蹶起したという事実も現われて参りました。

調査団の調査の結論がここまで生れましたことを、われわれは喜んだ次第であります。これもひとえに調査団のみでなく、新しい国をつくるがために、日本全国に盛り上っております民主政治実現のための国民の熱意の現われとして、われわれは日本が徐々ながら明るい面に向いつつあることを感じまして、この国民の傾向に対して敬意を表しますと同時に、こうした国政調査に国会が乗り出して、検察当局や警察の手の届かない点に対して、乱れたるところの治安を回復する意味において、大いに努めなければならぬという確信を深めた次第でございます。
前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。