昭和26年03月27日 衆議院 行政監察特別委員会 [088]~[091] 自由党(自由民主党) 岡延右エ門、証人(出入国管理庁第一部長) 田中三男

昭和26年03月27日 衆議院 行政監察特別委員会
[088]
自由党(自由民主党) 岡延右エ門
田中証人は本年の2月24日、大村収容所におきまして、大体北鮮系の者が扇動してやらした事件だというふうに一般に受けとられておるのでありますが、要するに俗に申しますと、収容所の幹部をつるし上げたという事件があったはずですが、承知しておられますか。

[089]
証人(出入国管理庁第一部長) 田中三男
承知しております。

[090]
自由党(自由民主党) 岡延右エ門
どういう事件であったか、ひとつ説明願いたいと思います。

[091]
証人(出入国管理庁第一部長) 田中三男
一応収容所内の全般の空気をまず御説明いたしたいのでありますが、送還船が出ることが間近に迫って参りますると、たいていの強制送還者は帰りたくない者が多いのであります。特に朝鮮の動乱以後、朝鮮に送還されました際に、向うで徴兵されるとか、あるいは悪質な、ことに徴兵忌避のために日本に行った、すなわち韓国を密出国したという者については、かなり向うでも取調べなり、処罰があるといううわさでありまするが、そういうことも手伝いまして、送還船が出る前には、収容者は送還をいやがりまして、非常に収容所内の室気が険悪になるのであります。

これはいつもそうでありまして、昨年の12月の10日過ぎに出しました際も、私は現地に行ったのでありますが、私自身も代表者等から、たびたびつるし上げに近い陳情攻めにあったのであります。そういう空気がいつも起るのであります。

ちょうど2月の終りにも、2月28日に送還船が出るということになりまして、それが収容所内に伝わりますと、いろいろと強制送還を忌避するために逃亡を企てる者とか、あるいはいろんないやがらせをやるというふうな事件が続出しておったのであります。

ちょうどそのとき、24日であったと思いますが、面会人が参ったようであります。その面会人に対しましては、送還船の出る前で非常に業務が混雑しておったために、時間を30分に制限をして、面会を許した。さらに面会の場合は、日本語を使用することをいつも希望しておるのでありますが、この際は30分の時間を超過しても面会を終らない。さらに途中で朝鮮語で話をするというふうなことがあったために、警備官が再三注意をした模様でありますが、かなり時間が超過したために、面会の時間の打切りを申し渡しまして、収容者を収容所内に追い返したわけなんです。

この際に収容者が非常に憤慨をいたしまして、ばかやろうとか、いろいろ罵警雑言を用い、さらに収容所内に入る際に、警備官をけり上げたというようなことがあったようであります。これに対しまして警備官も、若い警備官であったために、警備宮の権威を傷つけられたというか、どうもこういうことでは収容所内の秩序が保てないというので、当日の午後になって、その収容所でそういう罵警雑言をしたり、暴行を働いた者に対して説明を求めたらしいのでありますが、この際けんかになりまして、そこで警備官と収容者との間に乱闘騒ぎが起ったのであります。

この乱闘騒ぎが収容所内に伝わりまして――収容者は当時約500名おったのでありますが、若い収容者約200数十名が、これに対して警備官の謝罪あるいは収容所長の辞職その他を要求した騒ぎが起ったのであります。当時収容所長は公務のために福岡の方に主張しておったので、次長がこの中に立ちまして、数時間にわたって努力いたしました結果、ようやく円満に解決いたしました。

私その事件を耳にいたしましてすぐ現場に急行いたしたのでありますが、私が参りました28日の朝には、もう全部平静に返っておったのです。送還船は28日の予定でありましたのが、司令部の韓国側との連絡の関係上2日遅れまして、3月の2日に出て行ったのであります。この際私も送還者の帰るのを見たのでありますが、全部きげんよく、何らの事故もなしに送還を終了いたしたようなわけであります。大体以上のような経過であります。
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