昭和26年02月02日 参議院 厚生委員会 [023] 無所属 藤森眞治

昭和26年02月02日 参議院 厚生委員会
[023]
無所属 藤森眞治
先ず最初に、京都府のほうから御報告いたします。

第1に、朝鮮人の生活保護の概況を申上げます。

京都府在住の朝鮮人の登録者は7732世帯、3万6258人でございます。戦争中、主として土建、軍需工場等に働いていた鮮人は、終戦によりまして失業して、その多くは日雇労務者、又は酒の密醸造や煙草の密製造、買出し等、いわゆる闇屋に転落して、正常の職につくことの機会に恵まれることが非常に少く、且つその努力をする意欲も欠いておりましたために、不規則な生活をし、日常生活に安定性がないように思われるのでありまするが、その生活実態の把握というものは、一般に朝鮮人については非常に困難であります。

昨年10月現在、生活保護法による保護を適用したものは、804世帯、3553人、この保護費の総額が約528万円であります。これを生活扶助について見ますと、670世帯、3364人で、登録世帯及び人口おのおの1000に対しまして87世帯、93人で、内地人に比較して見ますと、内地人の被保護者が43世帯、人数が30人であるのに比較しますと、世帯において2倍、人員において3倍という高率を示しております。

第2に、騒擾事件の概況を申上げます。

京都府の治安の特色となっておりますことは、京都大学等の学生が集団行動に関与して、血気にはやって暴行をすることでございます。朝鮮人は平素は比較的おとなしい。京都府下の朝鮮人の関与した集団刑事事件としては、12月1日京都市役所における朝鮮人教育問題をめぐる不退去、公務執行妨害、傷害事件と、12月9日円山公園における全官公京都地協主催の越年闘争決起大会をめぐる公務執行妨害、傷害事件があるのでございます。

そのうちの1つの朝鮮人教育問題をめぐる集団抗議、朝鮮人の子弟に対する朝鮮語による特別教育問題は、一昨年春以来、朝鮮人と府教育委員会との間に折衝が続けられておりましたが、24年11月、朝鮮人学校が閉鎖されて以来、朝鮮人児童だけの課外教育を要求しておりましたが、旧朝連系と民団系との間に教員の人員の振合いにつき争いがあり、実施を延期しておりましたところ、これが早急実施を迫って、12月1日鮮人学童70名が、女を含む父兄約40名に引率せられ、京都市役所に参集し、教育長に会見し、こもごも課外教育の即時開始を叫んで喧騒し、中には土足のまま机上に上り、教育長を軟禁状態に陥らしめ、退去の要求に応じないので、所轄警察署に要求し、警邏隊約100名を派遣して実力を以て退去せしめたのでございます。警察員との間に乱闘を生じ、5名を不退去、1名を公務執行妨害、傷害現行犯として逮捕いたしました。

第2は、円山公園における集団闘争事件。これは全官公主催の越年闘争決起大会を、12月9日京都市円山公園で開かんとしましたが、市の公安委員会はこれを許可しなかったのであります。

一方京都府内労働組合も、餅代1人5000円支給、正月有給休暇、完全就労をかねて要求中で、前記大会に合流する気運がございました。又朝鮮人教育問題につき朝鮮人も更に教育長に要求して大会に参加する気配がございました。又当日京都大学においては、各学部学生自治会主催によります平和擁護講演会を開きまして、そうして講演会の終了後、多数学生が大会に参加するものと予想されましたので、京都市警本部では各署員並びに警邏隊員の総員待機の姿勢をとったのであります。

かくて同日午後2時頃に至り、公園内に朝鮮人、自由労働者を含む300名が集結したので、警察員はその解散に努めましたが、これに応ぜす、漸次増加し、午後3時頃やむなく実力を以て解散に当ったところ、警察員に暴行を加え負傷せしめたので、5名を検束しました。

その後も一度退散した参加者が、又群をなして集まり、自由労務者も波状的に押し寄せて来て、京大学生も300~400人が、或いは赤旗を持ち、或いはプラカードを掲げて集合して、スクラムを組んで、警察員の制止をきかずに暴力を以て、警戒網を破らんとして、集団闘争が繰り拡げられました。学生、自由労働者等は石、瓦等を投げ、或いは或る者は体当りに突っかかって来るというようなことで、大量の検束者を出したのであります。その参加者約700人で、双方に負傷者が出ましたが、警察側の負傷者は約20名ばかりでございました。

そうして午後5時半頃に漸く解散しました。参加者は個々別に帰りましたが、その途中で警察員派出所2カ所に石を投げて、そうして派出員を負傷せしめております。更に又商店街各所で警察の弾圧を罵倒するアジ演説をやりました。当日出動しました警察員は約2000名でございます。

第3に、朝鮮人生活保護要求の状況を申上げますと、

先ずその中で、京都府庁に参りましたものは、朝連の解散後、24年10月に2度に亘って朝鮮人多数、大体40~50名が府庁に押しかけて、即時生活保護法の適用を要求して喧騒を極めましたが、府では保護の建前をよく説明して、区役所の民生課、或いは民生委員に申出るように指示して、これを引取らしめたのであります。

次に、福知山市におきましては、25年12月6日、生活扶助を受けておる朝鮮人5名を連れた指導者が、市の厚生課へ来て、扶助額の増額を要求したが、これもよく説明して引取らせたのであります。

その次は、向日町、これは工場のレッド・パージを受けた14~15名が11月12月にかけて数回、役場に来て保護法適用を要求したが、大部分は独身者で、会社の退職金も受取っておりませんので、その退職金は供託されておる状況であります。それで保護法は適用しなかったのでございます。

次は、舞鶴市、昭和24年12月2日、市内在住朝鮮人30人余が市役所に来て、生活保護法による扶助額の増額を要求したのであります。その後市内の一造船所の被整理者を以て結成する失業者分会、その幹部は共産党員だということであります。その失業者分会なるものが、日雇労務者、朝鮮人等の指導権を握り、潜行的な指導をなし、主として生活保護法の面に重点を指向して、1月以来波状攻勢をし続けて来ました。

そうして8月11日労働者500~600名が市の助役宅を取り巻いて盆手当1人1000円の支給、3日間の有給休暇、日曜就労等を要求して、退去の勧告に応じませんで、遂に武装警官の出動を見るに至りました。

更に、昨年12月11、12日に朝鮮人代表者11乃至17名が来庁、15日に50名が来庁、生活扶助費増額、外国人退去政令を市の責任において撤回させると共に、少くとも朝鮮人には適用しないこと、万一適用した場合には、朝鮮人の生活を市が責任を以て保障すること、家屋の補修の実施等を要求して騒いだのであります。

その次に、京都市を申上げますと、京都市におきましては前に述べました2つの事件に関連して、生活保護法の適用要求は、市内民生安定所へ波状的に行われておりますが、いずれも一連の連絡があるように思われます。

各民生安定所では12月21日までに法の適用を要求した者に対して、個々面接を行い、うち保護を必要と認められた100名に申請書を提出せしめて、申請に基き訪問員をして実情を調査せしめて、保護の種類、程度、方法を決定いたしました。これは保護法の適用を要求した者を全面的に保護したものではなく、合法的に処理したもので、デモ隊参加の集団要求者のみに適用したものではないと、こういうことを申しておるが、これは当時新聞紙上に現われておりましたことと若干相違しておるのでございます。

これが京都府の概況でございます。
前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
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