昭和27年05月30日 参議院 地方行政委員会 [013] 日本社会党(社会民主党) 吉川末次郎

昭和27年05月30日 参議院 地方行政委員会
[013]
日本社会党(社会民主党) 吉川末次郎

(略)

で、東京におけるメーデー事件というものが、そうした見地から極めて重大視すべきものであるばかりでなく、そのスケールにおいて比較するには余りに小さな事件であったのでありまするけれども、関西におけるところのそうした左翼運動の中心として、今日まで諸種の同様の騒擾事件を惹起して参りました京都においても、類をひとしくするところの事件が起りまして、以上申しましたその重大性に鑑みまして、東京の本事件を我々が精査いたしますると共に、又地方におけるその代表的な事件の実情と、その真因を究めることは、当委員会の職務の上からいたしましても、又我々が日本の政治家であるという見地からいたしましても、その緊要性を感じまして、特に私個人といたしましてもこれが調査派遣を要求いたしたような次第であります。

それで先に申しましたごとく、その概貌につきましては、速記録に載っておりますところの当局の報告にこれを委ねまして、我々が調べました書類、談話その他のものは、書類だけでも相当長文であり、広汎に亘りますので、その一節をここに読上げまして、読上げましたものを通じて全体を一つ多少とも髣髴することができますることの一助にもなると思いまするので、読上げてみたいと思うのであります。

それは5月の10日頃に日本共産党の京都府V、これは暗号でありますが、ビューローという意味だそうであります。で、それは相当長文の文書を秘密のうちに発しておるのでありますが、その一節をここに読上げますというと、

「今年のメーデーの第一の特徴は、アメ帝、

アメリカ帝国主義のことだろうと思います。

「アメ帝や吉田、これに連なる一切の反動勢力の必死の分裂策にもかかわらず、下部労働者の実力で統一メーデーを守り抜き、府下10万の国民的大メーデーを敢行したことである。

昨年の市電労働者を先頭とする越年闘争以来の労働者の高まり、2・23、3・20闘争に発揮された労働者、農民を主力とする実力行動が更に破防法粉砕の4・12、18ゼネストと発展し、特に金属(日電、島津、寿輸送機)労働者の成長と、私鉄(奈良電、京福)の瀕しい闘争は全国民を奮起させた。

この偉大なる力はさすが札付き悪質民同森川一派さえもこの統一行動を妨げることができなかった。かくして京都、宮津、東西舞鶴、福知山、周山、宇治7地区とも統一メーデーが実現した。

特に周山におけるメーデーには府職」、

府の職員組合と思います。

「教員」、

教員組合と思います。

「国鉄、全逓、電産、周山運輸、製材所等、すべての経営が参加し、農民、学生共闘の意図で行われた。これは歴史始まって以来であり、北桑」、

北桑というのは丹波の北桑田郡でありまして、京都府における北海道といわれておる辺鄙な所であります。

「北桑の山深く住む敵に与えた影響は大きい。

第2の特徴として言えることは、昨年のメーデーは平和を守るメーデーであったが、今年のメーデーは民族解放のメーデーであった。7万の大衆は革命を意識し、アメ帝の支配を実力ではね飛ばし、吉田を打倒する決意に燃えていた。殆んどのプラカードは民族独立、国民政府を作れ、吉田打倒、再軍備反対のスローガンが書かれていた。

このことは新綱領が国民のものになりつつあることを示している。公然とデモンストレーションを指導した我が党のトラックには熱狂的であったし、再刊された「アカ八タ」はまたたく間に売切れ、固定を申込みに来る労働者すらあった。

第3の特徴は、終戦後最大の尖鋭的な戦闘的メーデーであったことである。労働者は至る所で警官隊の挑発と戦い、特に祇園石段下では5回に亘って警官隊を追っぱらい、包囲し、実力で粉砕した。丸山公園でも実力で私服をやっつけ、応援に駆けつけた武装警官隊と対峙して戦った。而もこれは組織されたものではなく革命的大衆の自然発生的な戦いであった。

このことは現在の情勢の厳しさと、金属労働者を中心とする全京都の労働者の革命的高まりと成長の現われである。職制の脅迫と戦い、悪質分裂主義者をはね飛ばし、参加し、農民は封建的な縛りをふりほどき、学生、朝鮮人は敵のおどかしを粉砕して参加した力である。

動員も多く、戦闘的に争った労働者は皆現在まで戦って来た都、相互、弥生等の自動車労組、第一製薬、日本新薬を中心とする化学労組、高島屋、大丸を先頭にした百貨店労組、奈良電、京阪バスを中心とする私鉄、中央染工、日本クロス、倉紡、京染労等の中小繊維工場労働者、日写」、

日写というのは印刷会社でありますか、写真会社でありますか、

「日写を中心とした印労連」、

これは印刷労働組合連合会だと思います。

「全官公系では自労、府職、教員、区職労組が元気であった。特に金属労働者は全体として戦闘的であり、動員も多かった。

島津、三谷、日新、日電、寿、日本輸送機、山科精工、宮本電機等に至る社会民主主義者の影響を受けた労働者までが非常に勇敢に戦った。このことは京都労働運動の質が変革化され、労働戦線の統一の基礎が成熟しつつあることを証明している」、

こういうことを先ず書いておるのであります。なお、それに付加えて、このメーデー闘争におけるところの共産主義者の見地からしての欠陥ということについても相当書いております。又更に

「メーデーの成果をかちとり、欠陥の克服こそ我が党の緊急任務である」

という見出しの下に、今後の京都地方における共産党員の活動を如何にすべきかということにつきまして、このメーデーに関連しても書いておるのでありますが、非常に長文に亘りますから、ここに口で報告いたしますことは省略いたしまして、若し必要がありましたならば、委員長等においてこの全文或いは一節を速記録の中へ留めて頂ければ結構だと思われるのであります。

今申しましたことと、先に国警本部から報告いたしましたこととをつき混ぜてお考え下さいまするというと、大体5月1日メーデー当日における京都の共産主義者によって指導された騒擾のまあ外郭だけはおぼろげながら御了解願えるかと思うのであります。
前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。