昭和27年05月07日 参議院 地方行政委員会 [005] 参考人(警視総監) 田中榮一

昭和27年05月07日 参議院 地方行政委員会
[005]
参考人(警視総監) 田中榮一
5月1日のメーデー騒擾事件に関しまして概括的に国警の柏村警備部長からお話がございましたが、私はこの都内に発生しました皇居前広場におけるメーデーの騒擾事件のみに限定いたしまして一応御説明申上げたいと思います。

事前の状況としましては、先ほど柏村警備部長からいろいろ情報の入手の状況とかまあそうしたものにつきましてはお話がございましたので、大体あの説明を以て一つ御了承願いたいと思うのであります。

当日は相当このメーデーを利用いたしまして、一部の極めて極左破壊分子がこのメーデーに参加して相当暴行をなすであろうという大体の予想は我々もしておったのであります。まあ警視庁といたしましては、このメーデーそのものの秩序維持につきましては、できるだけこの主催者であるところの総評側に十分なる責任を持って秩序あるメーデーを実施して欲しいということをかねがね申入れをしておきまして、又その主催者たる総評の自主的な統制に対して、我々ができることはできるだけ応援協力も惜まないということを申入れし、両者事前に極めて密接な連絡をとりまして、この意義ある第1回のメーデーを平穏裡に而も明朗に盛大に実施をするように、両者極めて協調の下に計画が進められておったのであります。従いましてその人員とかメーデー行進の順路であるとかという具体的なことにまで両者十分に密接な連絡をとって大体この計画ができ上ったのであります。

今回のメーデーは皇居前広場がメーデーの大会会場として使用できないという関係からしまして、明治神宮の外苑を大会の会場に充当することを総評としては決定されたのであります。で、この大会の会場において大会が終了いたしましてから、大体5カ所に分散してメーデー行進をするということに手筈をきめまして、1つの班は外苑から出まして新宿駅において解散をする、第2の班は渋谷の繁華街を行進しまして、渋谷駅の、東急の駅の前の広場において解散する、それから第3の班は宮城の外濠を廻わりまして、九段坂を通って後楽園の附近の広場において解散する、それから第4は南部班と言っておりまするが、これは溜池を通り虎ノ門、田村町を通って日比谷公園において解散する、これを南部班と言っております。それから中部班はこれは青山外苑を出まして、赤坂見附からこの永田町の自由党本部前を通過いたしまして、この議会の裏を廻わってそして霞ヶ関へ出まして、日比谷公園に出て解散をする、こういう5つの分散メーデー行進を実施することになったのであります。

当日の模様といたしましては、大会の席上におきまして、石川島造船の一部急進分子が大会に参加して演説をやらせろというので席上でごたごたが起り、又朝鮮人並びに全学連、都学連の急進分子が壇上を占領しましていろいろ演説その他についての異議の申立て等がありまして、大会席上においても相当波瀾を招きまして、メーデー主催者としましては成るべく早く行進に移して、大会を速やかに終了しようというような考えから大会をできるだけ早く打切りまして、そしてメーデー行進に移ったのであります。

それで現在警視庁としまして、このメーデーに注込みました実際の警察官の数は、沿道その他の警戒並びに解散地における警戒又会場の警戒その他に約4100名の警察官を使用いたしておるのであります。そのほかこのいろいろの事前の情報からいたしまして、メーデーの行進中に或いは隊列を離れていろいろな行動に出る虞れもあり、又解散後に如何なる事態が発生するやも測り知れませんので、管下73の警察署は警察署員自体をもってその署管内の警戒警備につかせる、いわゆるその署の自衛態勢をとらせるようなことにいたしておったのであります。従いまして各署の人員を引上げましてそうしてこの今のメーデー行進その他にこれを取締りに従事させるということはできるだけ避けまして、大体支障のないと思われる極く少数の警察署から一応人員を引上げまして、この皇居前広場とメーデー行進の沿道の警戒、その他に当てておったのであります。

丁度この中部班が行進を権田口から東交を先頭にメーデー行進がプラスバンドで行進を始め出しまするや、全学連、都学連並びに自由労組、勿論朝鮮人も入っておったと思いまするが、これらの一つのグループ約7000人くらいが別の団体を形成しまして、これはこの信濃町停留所の巡査派出所のあの辺から出まして、権田口から出ました普通のメーデー部隊等を追越しまして、馳け足でもってその先頭に立ってどしどしメーデーとは全然別個な梯団として行進を始めたのであります。

そうしてそれが先ず自由党の前に行きまして、学生群が投石等をいたしまして暴行を働きました。それはそのまま霞ケ関を通って旧比谷公園に入ったのであります。そうして日比谷公園の旧音楽堂の前に一応集合いたしまして、そうしてこれから皇居前広場につっ込む、人民広場を我々の力によってこれを戦い取れというような極めて激越なアジ演説等がその場で始められまして、そうして喚声をあげて日比谷の公園の入口から日比谷の交叉点に突進し始めたのであります。

それから今一つの南部班は、これも青山の外苑の電車通りの口から行進を始めまして、そうして行ったところが、朝鮮人の団体が途中から脱出いたしまして、この中部班に合流して来たような状態でありまして、相当メーデー行進としてはこれらの別動隊によりまして、秩序ある行進が相当秩序を破壊されておったのであります。

図面につきましてちょっと御説明いたします。当時の警視庁の警戒態勢といたしましては、このここに三田と水上署の警察官約87名ほどがここに警戒しておりて、そのほかにここに第一方面予備隊の2個中隊と更に1個中隊、合計342名が待機しておりまして、ここで先ず馬場先門を警戒しておったのであります。それからそのほかにここに三田水上の両警察から来て30名、それから高輪の警察署員67名、それから丸の内の署員82名、それからこのうちに丸の内の署員152名、この辺に35名、それからこの桜田門の入口のところに35名の丸の内署員が、これだけのものが警戒配置についておったのであります。これを全部合算いたしますると、大体700数十名になると思うのであります。

そしてこの皇居前広場にこれらのデモの崩れたものがどんどん入って来て、そうして或いはここで集会なり、大会を催す虞れがありますので、一応ここで防止するというような警戒配置をいたしておったのであります。

それでこの数において非常に少いじゃないかというような一応のお考えがあると思うのでありまするが、先ほど説明いたしました通りに、現在73の警察署署員を引上げまして、これを警戒配置につけるということは非常に困難であります。それから又予備隊等も各方面にこれを出しましてその署の応援をいたしておりまする関係上、こちらは一応この程度にしまして、で、各分担地等の警戒が必要の度が少くなったその度に応じまして、極力これに集中いたしまして、逐次これを警戒力を増強して行くという方針を立てておったのであります。

然るにこの暴徒のいわゆる行進なるものが極めて迅速でありまして、ここに着きますると暫くしてから直ちにこれに向って行進して参りまして、一応ここで丸の内の警察署員82名がこの交叉点に来まして、これを制止いたしたのでありますが、7000人の大衆でありまするので、怒濤のごとくこれを押し出しまして、これはもう忽ち、制止いたしましても、とてもその力では及ばない。それでこれに一応最初梯団としましては、3000人ぐらい、その次に又4000人ぐらいの梯団が来たと思うのでありますが、一応ここに学生群を先頭に停滞いたしたのであります。

これに着きましたのが大体2時23分頃に着いたと思います。そしてこの連中はここにおきまして、プラカードの板を全部壊しまして、そうして釘だけを出す、或いはここにおいて戦闘体形のような恰好を示しておるのであります。そこでこれらのものは直ちにこれに全部警戒についたのでありまするが、やがて2時半頃に喊声を上げましてこれから中に一目散に駈け足でもってプラカード等を先頭に、旗等を先頭にいたしまして、二重橋に向って突進を始めたのであります。

そこでこの部隊はこのまま押されまして、そしてこちらのほうのいろいろ進駐軍の自動車等も相当ございますので、これなんかの警戒に当り、それからこの予備隊は直ちにこの集団のあとを追いながら、2個中隊というものがこれにあとを追いながらここを全部占拠いたしたのであります。そうしてこれがこちらに来ることを極力、正門のほうに突入するような形勢にありましたので、この辺で防いでおったのであります。それからこの1個中隊もなお不足と見まして、更にこの1個中隊も直ちにあとを追いかけまして、そうしてここに3個中隊というものがここにこの暴徒をここで一応抑えたわけであります。このときにこの暴徒は一応ここでとまりまして、そこで或いはインターを歌ったり、まあいろいろやっておったのであります。それで当時第一方面の加藤予備隊長が再三再四解散を命じました。で、若し解散をしない場合においては止むを得ず催涙弾等を投擲するかも知れんからそういうことのないように直ちに解散をすべしということを声をからして再三再四ここで警告を発したのであります。

そのうちにこの暴徒はこの祝田橋派出所におりました警察官に対しまして暴行を働きまして、三瓶巡査は殆んどここで暴行を受けまして人事不省に陥りまして、その人事不省に陥りました警察官を誠に惨虐な行為でありまするが、意識不明になりまして、抵抗が不能に陥った者を濠のなかに放り込んでしまったのであります。そうして、まあ、予備隊の連中が来ましてこの三瓶巡査を漸く濠から引上げまして、漸く一命を取りとめ得たのでありますが、この巡査は只今病院に入院中でありまして、一時生命も非常に危かったのでありまするが、一応生命だけは助かりまして、意識も回復しまして只今専心療養中であります。

かような状態にありましたので、止むを得ず加藤予備隊長はこの催涙弾をここから初めて投擲し出したのであります。ここに、これが宮城に突進して行く赤旗を先頭にし、宮城に今まさに突貫をして行くところの状況でありまするが、それからこれは漸くその二重橋前に着きまして、そうしてあそこでいろいろデモったり何かしておる状況であります。そこでこの2個中隊、人員にいたしまして約200数十名だと思いますが、この中隊がここで催涙弾を投げ始めましたので……、その間に警察官との間に相当な乱闘が展開いたしまして、或いは槍で突いて来る、竹積で突いて来る、或いは棒きれで打合うというような関係で……、この暴徒はこの催涙弾にひるみまして、こちうのほうへ、この芝生のほうへ後退をいたしまして、ここにあとから又1個中隊参りまして、この3個中隊というものがここでこの暴徒と対峙をいたしたのであります。

併しながら、ここにおりました180名……、67名これらは直ちにこれに全部応援に参りまして、そうしてここにおりました三田水上の中隊、高輪の中隊なんかと合流いたしまして、ここに184名がここに陣を張りまして、あとから入って来る者をここで防いでおったのでありますが、併しながら相当な者がなお且つこれにぽつぽつと洩れて入って来るというような状況でありました。それからなおこの皇居前広場にこれらの梯団が入る前に、すでにぼつぼつ午前中からこういうような芝生に暴徒の一団らしい者が、ここにこういう所々潜在いたしまして、これがここに入ろうとすると、中からも相当な喊声を上げまして、内外相呼応して乱入を相当助けたというような形勢があるのであります。

それから大体2時40分頃になりまして、大分催涙弾も残り少くなったのでありまするが、更にここでこの芝生からここまで襲おうのいうので、この200数十名の中隊がここから更に催涙弾を逐次2時45五分頃から放り出しまして、2時55分には、これは祝田橋通り、これは凱旋通りでございますが、凱旋通りまで押込んだのであります。そうしてこの暴徒はこちらのほうへ又押返えそうとしておったのでありますが、ここへ自動車が盛んに往来しておりまするので、この頻繁な交通のためにこちらにこれだけの人数が出ることができない、従ってこの交通量のためにこの暴徒はここで暫くの間釘付けの状態になっておったのであります。

そしてこちらから更に応援隊の来るのを、この中隊はここで両者相対峙しまして、ここで暫く特久戦をやっておったのであります。この間にここを通ります進駐軍の自動車に対して或いは棒きれを放ったり、或いは又石を放ったり、相当ありとあらゆる暴虐な行動をここでやっておったのであります。そうして2時55分後になりますと、先ほど申しました、南部班の先頭を切って行った朝鮮人隊約2000名のものがこの霞ヶ関から、日比谷公園に入らずに、一部入りまして、この桜田門から抜けまして、ここへこう出て参りまして、そうしてここに勿論若干の警戒員がおったのでありますが、これを排除いたしまして、こちらに出て参ったのであります。

でこのときにこれを防いでおりました、警察官がこれは濠の中に投げこまれまして、そうして一般の民衆が、地検これは地方検察庁でありますが、ここへ各署から容疑者を送って参りまする押送自動車というのがあります。押送自動車に相当な警察官が護衛のためについてくる、ここに12~13名の警察官がおりまして、この濠に警察官が暴徒のために放りこまれておるから助けてやってくれという通行人の申出がありましたので、直ちにこの12~13名の警察官がこれに参りまして、この4~5名、この濠の中に放りこまれた警察官を助けようといたしましたところが、この救助の警察官に対して又非常な打つ殴ぐる、蹴る、の暴行を働きまして、そこで又相当な重傷者を出しておるのであります。

そうしてこの朝鮮人部隊がこれがこの芝生に入りまして、この学生群と合流をしたような恰好になりまして、更にこの学生群の気勢はこれからいやが上にも上がりまして、更に又これから向へ寄返すというような状況になったのであります。それから当時風は警視庁からこう吹いておりました、こういうふうに吹いておりまして、催涙弾はこちらの方に流れて来たのであります。

そうしてその学生群のうち、大部分がこちらに、3時5分頃からそちらに移動いたしまして、そうして勿論この中にも、朝鮮人も入っております。学生もこの中に入りまして2つの梯団に分れまして、この梯団はこの芝生に進出いたしまして、そうしてこの梯団はこの芝生に、丁度これは憲法発布式典の式場のできる前の芝生でございますが、ここへ入りましてそうしているうちに、3時丁度、これが移動する時に、逐次引上げました予備隊が、これに逐次増強いたしまして、七方面予備隊の2個中隊、六方面予備隊の1個中隊がこれにこう新たに加わりまして、そうして前の第一方面予備隊の2個中隊だけは、この宮城正門をここに約170~180名のものがこれをしっかりここで抑えておったのでありますが、これに乱入しないように、ここでしっかり防禦をしておったのであります。それを新たに加わりました新手の予備隊と一緒にここでこれが対峙いたしまして、そうしてこれから盛んに投石をする、こちらに投石をする、更に中には警察官のところに挑みかかってそうして警察官に追返される、お互にここで乱闘をやっておったのであります。

そのうちに催涙弾の、風がこう参りますのでここにおった連中が催涙弾のガスに相当圧迫を受けましたので、これが風上のほうへ移りまして、それと同時にこの朝鮮人の梯団がここに3時15分頃この隊形になったのであります。そうしてこの警察官の隊形は止むを得ずこういう隊形に移りまして、これと連繋をとりまして絶対にこちらへ入らせぬような隊形に移ったのであります。

そうしてこのときにこの朝鮮人の梯団が竹槍を全部先頭に立てまして警察官に突込んで来たのであります。このときは警察官もここで更に又乱闘が始まるというような極めて緊迫な大勢になりまして、ここですでに乱闘が始まったのであります。これは丁度3時15分であります。

で、先ほど申しましたここで乱闘が始まりました際に警察官に竹槍を持って突いて来ると警察官も警棒で以てこれを受けておったのでありまするが、相当負傷者も出ましたので止むを得ず警察官としても生命を擁護するためにここで拳銃の発射が行われまして、そして拳銃の発射と更にこの予備隊が新たに又催涙弾を携行して参りましたので、この催涙弾をここで又投げまして、中には催涙弾を又こっちへ投返すというような相当の乱闘の状況がありまして、これが催涙弾とそれから拳銃の発射によりましてこの梯団をずうっと一挙にここまで追返してしまったのであります。これは丁度3時30分から3時50分、20分間の間にこれをここまで追返してしまったのであります。

そうすると、その中で一部の朝鮮人等がこれから追返されたものですからこれからここを出まして、そうしてこちらのほうへ出て来た。この3時50分頃にこの梯団が出る際に自動車に放火いたしたり、相当乱暴狼藉をやったのであります。それから最初学生群がこっちへ来ますときに、この辺にありました自動車に対して投石をしたりなんかして窓ガラスを破壊したのであります。そうしてこの187名の警察官はこの態勢に移りまして、そしてこれをこちらへ全部出す、追返してしまうという態勢をとったわけであります。

そうしてこの辺の自動車を更に十分に警戒をするという態勢に移ったのであります。そうして3時50分頃から約4時、10分の間にこの芝生におりましたこの学生群並びに朝鮮人の一部をこの力によりまして更に圧力を加えまして全部こちらへこれを排出したのであります。この辺に若干残っておりましたけれども、これは逐次あとから出すということにして、部隊だけを全部排出いたしまして、これがさようにいたしまして、この出た者は大部分これから解散したようであります。

途中交番とか警察署の襲撃ということもありませんで一応これは解散したのでありますが、これから出ました一部と、それからこれから出ました一部が又ここで1000人くらいこの三信ビルの前で相当とぐろを巻いておったのでありますが、これはこれからこの警察官の余力と、それから又更にあとから来た警察官の余力によってこれを逐次解散させるというような方途を講じまして、大体これをここへ追払ってしまったのは4時15分で、4時15分に大体全部追払ってしまったのでありまして、丁度2時半から始りまして4時15分でありますから1時間と約45分の間この中で暴れ廻ったのであります。1時間45分でこれを全部追払ってしまったのであります。これに要しました警察力というものは、今申上げましたように大体500~600名の警察官でこれを全部追返してしまったのであります。

ここに入りました暴徒の数でありますが、これは正確なものは到底わかりませんが、大体8000から9000ぐらい、これは正確な数字はもうわかりません。これは併しながらここに相当見物人といいまするか、やじ馬等も相当たくさん入っておりまして、どれが暴徒でどれが見物人であるかそれすらわからぬ状態でありまして、まあ全部入れれば1万人くらいになったろうと思うのでありますが、実際これ全部が暴徒であるとは云えないのであります。中には見物人もおったろうと思うのでありますが、要するにこの辺におった者が暴徒の一群であろうということが言えるわけであります。

そうしてこの部隊は最後まで、これがすっかり平静に帰しましてもなおここにこのまま釘付けでここに警戒配置をしておったのであります。それから私どものほうも大体相当な暴行をやるであろうという予想はございましたので、警察官の拳銃を予防措置としまして一応全部外さしたのであります。そして100人のうちにまあ20人くらいはこれは拳銃を持たして、これを拳銃の部隊として編成させ、それからあとの者は全部拳銃を外させまして、そして暴徒に対抗するという態勢をとったのであります。と申しまするのは、その情報によりまして、拳銃を奪取するというような情報もいろいろ事前にございましたし、又拳銃を奪取されはせんかというような心配から思う存分な働きができないというようなことになりましてはというので、拳銃を一応外させまして、そして一部拳銃部隊を作りまして、そしてここで警戒に当っておったわけであります。

それから拳銃を発射いたしまして死傷した労組員が1名おります。それから重傷をこうむった学生もあったようであります。相手方暴徒の負傷した数は今のところ判明はいたしません。何名でありまするかはっきりした数字は判明いたしませんが、相当な数、数100名の数には上っておるだろうと思います。又負傷した者の中で明らかに警察官に公務執行妨害をして警察官と乱闘の結果負傷したと認められるはっきりした証拠のある者は直ちに令状を取りまして、病院等においてこれを逮捕するという措置をとっているのであります。従って暴行した者が直ちにこの容疑者であるということは言えんかも存じませんが、一応負傷している者は警察官と乱闘して負傷しているということが推定できまするので、恐らく負傷者の申し出と申しまするか、負傷者の名乗りというもののないということが現在相手方暴徒の負傷者の数が確実につかまれん一つの原因であろうと考えているわけであります。

今回の事件によりまして多数の外国自動車を炎焼させ、又何ら罪のない駐留軍の兵隊に暴行したということは誠に国際信義の上から許すべからざる暴虐なる行動であろうと思うのであります。今回の行動は私どもは明らかに尖鋭過激な分子が一つの組織的な軍事行動の一環として、こうした暴虐なる行為をやったものであると信じているのであります。

同時に今回の暴徒の特徴は極めて残忍性、残虐性があるということであります。それから全学連、都学連、朝鮮人並びに共産党の地区委員が相当これに加わっております。そうしてこれらの者一人々々が極めて残虐なる気持で警察官に対して暴行を行なったということであります。

勿論当初から警察官殺傷の目的でかずかずの凶器を隠匿して会場に持込んだのでありまして、メーデーが、大会が始まると同時にかかる凶器が会場に持込まれる状況を確認いたしましたので、大会の責任者にかかる凶器を持込むことは甚だけしからん、最初の条件にも反することであるし、十分注意方を責任者に警察側から喚起いたしまして、こうした凶器は直ちにこれを放擲するように大会の責任者からそれぞれ地区の責任者のほうへ申渡したことは事実であります。

併しながら地区の各組の責任者から個々の組合員にそれが伝達が十分に徹底されたかどうかということはこれは疑問であります。恐らく総評参加の一般の組合員にはそれが十分に徹底されたろうと思うのでありまするが、こうした一部の急進分子の別動団体にはこれを徹底さしたところで、その命令に服するということは全然なかったのではないかとかように考えるのであります。

それから今回の騒擾事件におきまして、極めて私どもが注目すべき事柄は、メーデーそのものは極めて円満裡に、平穏裡に終ったということが言えるのであります。その証拠にはこの恐らく学生並びに学生群は先端を走りまして、先頭を走りて、そうして他の労組員を誘導してこの皇居前広場へ全部導こうというような計画だったのではないかと思います。

併しながら他の一般の労組の梯団は大体総評の責任者の命令通り日比谷公園内においていずれも平穏裡に散会をいたしまして、この皇居前乱入の梯団の中には恐らく入ったものはなかったと私は信じているのであります。或いは見物がてら若干その中に入った者があったかも知れませんが、殆んど大部分の労組員というものはこの日比谷公園内から全部この梯団とは全然別行動で、それぞれ帰宅をいたしているというような状況でありまして、かような点からいたしまして、このいわゆる急激な分子の指導する団体行動とは全然別な行動をとって、そこに健全な労組のメーデーと、この暴戻な梯団のメーデーとの間に一線ははっきりここに画されたということが、これが今後の労組の動きかたについて十分に一つ我々としても注目すべきことであろうと考えるのであります。この点は一般大衆がこうした一部過激分子の、極左分子の指導に乗らなかったということは、私は大衆自体としても十分に自覚ある行動をとっていたということが考えられるのであります。

今回の事件によりまして負傷いたしました警察官は、昨日法務総裁から国会に御報告があったと存じますが、重傷者83名、軽傷者678名、合計761名でありまして、重傷した者はそれぞれ十分なる手当を尽し、又見舞金その他についても十分遺憾のないような措置を講じている次第であります。

それからなお今回騒擾事件を起しました、実際にこの皇居前におきまして指導的な役割を演じたり、或いは又警察官に対して極端な暴行行為を行なった者、又は相当助成した者というようなものは、大体本日午前9時現在におきまして検挙人員が321名、検察庁に送致した人員がそのうち278名、拘留人員が110名ということになっておりまして、なお今後続々として検挙されるものと考えております。

警視庁としましては、この事件によりましで徹底的に一つこうした極左分子の根源を衝きまして、そうしていろいろ今まで相当な不穏計画、或いは警察、交番の襲撃というようなことも計画をしておったのでありまして、まあこういうような事件をきっかけに徹底的な検挙をいたしまして、どの程度できるか存じませんが、抜本塞源的な一つの検挙をいたしてみたいとかように考えておる次第であります。

当日皇居前の警戒態勢は先ほど御説明申上げました通りに、当初におきましては700名程度の人員であったのでありまするが、大体各方面のメーデーも漸く終了いたしまして、最後には22個中隊ぐらいで、この周辺をすっかり整理いたしたのであります。

そこで警察官の士気の点でありまするが、最初御説明申上げましたごとくに、この二重橋の袂におきまして僅か200数十名の少数寡勢を持ちまして、6乃至7000の大衆に敢然として抵抗いたしまいて、とにかく200数十名でこれを後退さしておるのでありまして、ただこの6000名、7000名の暴徒でありまするが、これは本当にいわゆるモップでありまして、何ら指揮系統も何にもない一つの烏合の衆でありまして、従ってまあそういうようなためにこの200数十名の寡少な警察力を以てこれを押し返したのでありまして、まあ将来こうした問題につきまして、我々も相手方が今少しこの組織的な方法を持って来た場合においても、十分に考慮する必要があるのじゃないかと考えております。

それからこの今回の騒擾事件によりまして、警備に当る我々といたしましても、いろいろ装備であるとか、施設の点につきましてまだまだ十分でない点も多々あると考えております。早急にこの装備、施設の点につきまして、不備の点につきましては、即刻改善をいたしまして、又強化すべき点は直ちにこれを強化し、整備すべきものは至急これを整備して、再びこうしたことが絶対に起らんことを期して万全の方策を立てたいと、まあかように考えておるわけであります。

一応事件の報告だけを申上げた次第であります。
前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。