阪神教育事件

昭和23年04月27日 参議院 治安及び地方制度委員会
[015][016]
(略)



[026]
日本共産党 細川嘉六
第一に、委員長の話にしても、朝鮮人の一部の者は特権的意識を持って、それが今日の騒擾に関係があるようにいっておられるが、これも朝鮮人の一部にそういう者があることは、そういうことは否めないことで、現に終戦前日本の支配階級にこき使われて、えらい目に遭って来た連中で、その反動として、甚だ遺憾なことではあるが、一部の者には特権のような考え方を持って来ておる者もある。併しこれを今度の運動と結びつけるのはどうかと思う。

それから先っき不法行為についてのいろいろなことが挙げられたが、それは朝鮮人の中にも闇行為のいろいろなことがある。これは朝鮮人のところにおる者もやっておることではあるが、併し特にこういうことを挙げられると、何か朝鮮人は皆悪い者だという印象を与える。これは冷静な判断をやる場合に間違いを起して来る危険があります。



[032]
無所属 岡本愛祐
それから朝鮮人の犯罪者が極く少数である、日本人だってやるじゃないかと言われる、日本人だってやりますが、朝鮮人の、犯罪が余りに多過ぎるということを言ったのであります。22年度の私の取った統計、これは政府の表にできた統計だけであります。泣寝入りで訴えないのは沢山あります。

先程も同僚議員から聞いたのでありますが、娘まで買おうというような人もある。村に行って、お前の娘を嫁にくれというようなそういうことは表に出ておりませんが、金で買おうというようなのもある。57万の在留朝鮮人の中で1万5000人からの犯罪者を出しておるということは、これは少くはありません。非常に多い。(略)

それから朝鮮人が全部が悪人でない、そんなことは百も承知で、57万の在留朝鮮人の中には善良な人が勿論非常に多いということを十分知っておる。そういう人は日本人と区別しないで、本当に相携えて共存共栄をしようじゃないか、それはしなければならん、親善関係を増進しなければいかんと言っております。

それから不良の朝鮮人だといって不良の人は許しておけない不良の日本人同様に断乎として取り締らなければいけないと言っておるのであります。そういうことをよく汲み分けて頂かなければならん。

それから話せば分ると言われますが、話すにも礼儀がある。こういうような群衆の、而も暴力を含んだ大きな力を以て脅迫しちゃいけないのであって、それはやはり正当な大衆運動の域を超えておると思う。大衆運動に対して、我々は決していけないものだとは考えておりません。大衆運動も必要である。正当な労働運動はもとより弾圧なんかしてはいけないと私共は信じております。

それで私の言ったことは、こういうようなえらい騒擾ができることを考えて見ると、計画的に火をつけるものがあれば、非常事態宣言をしなければならんような騒擾が今後も起って来る虞れがある、その実例が示されたのじゃないか。だからそういう不祥事が起らないように、今後は注意しなければいかんじゃないかということを言ってるのであります。




昭和23年04月27日 衆議院 治安及び地方制度委員会
[012]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
神戸事件につきましては、すでに新聞等で御承知の通りでございまして、警察といたしましては遺憾の意を表する次第であります。

兵庫県におきましては、去る4月14日に朝鮮人学校5校に対しまして閉鎖命令を発したのであります。ところが彼らは依然授業を継続いたしまする一方、朝鮮人の団体の幹部、生徒父兄等約70名が、去る14日午後1時ごろ副知事に面会を求めまして、閉鎖命令の撤回を強要いたしたのでありまするが、これを拒否されまするや、同4時ごろから居坐り戦術に出でまして、副知事室を占拠いたしまして、翌15日午後5時に至りましても退去しなかったのであります。

警察は関係方面と連絡をとりまして、不法占拠者全員を住居侵入罪として検挙いたしまして、市内の警察署に留置をしたのであります。これを知りました朝鮮人連盟におきましては、各小学校に400~500名ずつ集合いたしまして、これに対する対策を協議をいたしますほか、検挙者の釈放運動を活発に展開いたしました。

4月23日の午前10時に県庁知事室におきまして、知事、副知事、検事正、市の警察局長等が参集をいたしまして、学校の閉鎖強制執行に関する打合会議をやっておりましたところが、そこへ朝鮮人が三々伍々県庁内外に押し寄せまして、11時ごろには知事室に200~300名、県庁の周辺に数100名が集結いたしまして、スクラムを組んで気勢をあげ、器物、建物を破壊いたしまして、知事室と外部との連絡を断って、会議中の首脳者を軟禁状態に陥れたのであります。

警察は事態を重視いたしまして、国家、自治両警察から約1500名を非常招集いたしまして、県庁前の朝鮮人を退散せしめまする一方、知事室内外の朝鮮人に退去を強制すべく努力をいたしたのでありまするが、朝鮮人の猛烈な抵抗を受けまして、知事等の安全なる救出は、朝鮮人に対する強制力によっては目的を達することが不可能であるという判断を下しました。当時ここに参りました進駐軍のMP関係の人たちと相談をいたしまして、強制退去の実力行使に出でなかったのであります。

軟禁中の知事、検事正、市長等は、5時20分ごろ遂に、彼らの要求する朝鮮人学校の閉鎖命令を撤回する、朝鮮問題に関しては今後朝鮮人教育委員会等と協議をする、朝鮮人特殊学校は許可あるまで従来通り認める、事件に関する不法行為者は一切処罰をしない、学校明渡しの命令は撤回するというように、全面的に彼らの要求を承認し、検挙中の朝鮮人を全部釈放し、同6時彼らは散会したという報告に接しているのであります。

そこで神戸地区司令官は、その日の午後10時ごろ、非常事態を宣言いたしまして、警察は憲兵司令官の指揮のもとに関係朝鮮人の検挙に当ることに相なったのであります。ただいままで受けております報告によりますと、朝鮮人の関係者約1200人ほど、すでに逮捕したという報告を受けているような次第であります。

詳細はただいま溝淵次長が出張いたしまして取調べている次第でありますが、一応われわれの報告を得ておりますのは、ただいま申し上げたような状況でございます。





昭和23年04月27日 衆議院 本会議
[007]
日本社会党 前田種男
朝鮮人の今回の問題の動機は、昭和21年11月20日附の総司令部からの発表に基き、本年1月24日附で文部省から通逹になっておりますところの、教育基本法に基く学校閉鎖命令が原因になっておるのでございます。日本国内における朝鮮人の取扱い等は軍司令部の命令にもございます通り、日本の法規のもとに、日本人と同等の立場において取扱いをなさなくてはならないことは、言うまでもないのでございます。

しかし、この通逹が発せられた後、過ぐる3月30日には山口で、4月16日には岡山で、あるいは兵庫は4月14日から引続いて、多数の代表者が、それぞれ、県当局あるいは市当局を訪問いたしまして、いろいろこの問題の取扱いに対して厳重な当局の反省を求めるような態度に出たのでございますが、そうしたことが繰拡げられまして、去る4月23日には、大阪府庁に1万人近くの朝鮮人を動員いたしまして、府庁の中を全部占拠するというような状態のもとに、この問題が展開されたのでございます。

大阪におきましては、当日、わずか2時間そこそこの間における警察当局の動員が敏速に行われ、3000数百名の警官を動員いたしまして、この問題の処置に対して万遺憾なき態度をとったがために、非常な大問題になるというところまでいかずして、23日には一応問題が片づいたのでございます。しかし、府庁内の知事の部屋のガラス、机、その他器物が相当破壊され、双方に数10名ずつの死傷者が出たというようなことになったのであります。(「死者があるのか」と呼ぶ者あり)

その翌日、この首謀者と目される人々が相当検束されました各所の警察署に対しましても、さらに大挙して、そうした人々の釈放方を要請するということのために、大阪南警察署のごときは、そのために石が飛ぶというようなことで、これまたここで相当けが人が出たという事実もあり、最後には解散を命ぜられるというような出来事になったのでございます。

越えて昨日、1万2000という多数の人々が、また再び大阪府庁に集結いたしまして、そうして知事の回答を求めるという態度に出ましたが、この結果は、事なくして済んだのでございます。

さらに4月14日から昨日までにおけるところの兵庫県の様子を申し上げますならば、4月14日の晩、相当多数の代表者が知事の部屋にへたりこみをいたしまして、その翌朝までがんばって、この問題に対して当局の取消しを要請するという態度に出、その結果、相当多数の人々が検束された。その検束者を奪還するという名目と、本目的の逹成のために、去る4月24日には大挙して県庁に参り、ちょうど知事、市長、警察長等がこの問題について協議をしておりましたその部屋に参りまして、そうして4時間、5時間という長い間監禁同様の処置をし、しかも電話線まで寸断して、強制的に要求条項に対する同意を求めたのであります。

そのときに強制的に要求いたしましたその条項を参考までに申し上げますと、
1、不法行為のかどで公判のため拘束中の朝鮮人を釈放すること。
2、釈放された法律違反者の不起訴に同意すること。
3、朝鮮人学校に関する裁判所の命令を取消すこと。
4、以上要求した朝鮮人に対して何らの処置をとらないことに同意すること。
以上のことを要請いたしまして、4時間以上がんばりました結果、そのために知事並びに検事正はこの内容に同意をいたしまして、そうして不始末を惹起したというのが今日の現状であります。しからば、こうした不始末を起しました知事、検事正、その他の出先当事者の処置に対して、中央政府は一体いかなる態度をもって臨むかという点を明確にしていただきたいと思うのであります。

さらに、今回の問題におきましては、神戸におきましても、大阪におきましても、朝鮮人問題に関連いたしまして、日本共産党が関係しておるということを今朝の新聞は報じておるのでございます。しかも今朝の新聞にありますところの、日本共産党から配布されたというビラの内容を参考までに申し上げますならば、「全朝鮮人諸君よ」と題しまして、
1、日本共産党は民族の権利を擁護するであろう。
2、不法拘禁を受けている73名の代表を釈放せよ。
3、彼等を不法に抑圧しておる責任を追求せよ。
4、これらの責任者を追放せよ。
5、少数民族の権利を保護せよ。
6、朝鮮人教育自主性を擁護せよ。
7、戦争宣伝を停止せしめよ。
8、被抑圧朝鮮人同胞よ、日本共産党に来れ。
というビラを配布して、そうして、この問題に対して同調の態度をとっておるかのように、今朝の新聞は報じておるのでございます。こうした関係に対するところの政府のその後の調査内容、あるいはこの問題に対する処置をこの際明確にいたしまして国民の疑惑、不安を一掃せなくてはならないと私は考えます。

さらに、うわさに聞くところによりますと、数日後に追っておりますところの5月1日のメーデーにこの問題をもちこみまして、メーデー闘争の中に織りこんでやろうとする計画すら一部にあるやに承るのでございます。もし、再び三たびこうした問題が全国的に展開されることになりますと、国内の治安はまったく混乱の底をつくと私は考えます。来るべきメーデー当日に対する対策、あるいはメーデーでなくとも、この後この問題がどうなるかということに対する当局の明確なる態度を、この際明らかにしてもらいたいと私は考えます。



[009]
民主党(自由民主党) 後藤悦治
私は、この機会に、全国的に一大センセーションを起しました今回の神戸並びに大阪におきまする朝鮮人騒擾事件に対する政府の所信を伺いたいと思うのであります。

今回は、終戦後初めて進駐軍司令部から非常事態の宣言をされるというような、まことに日鮮両民族のために悲しむべき事態を惹起したのでございますが、これは私がいまさら申し上げるまでもなく、すでに皆様方は、新聞に渉外局発表が出ておりまするから、あらましは御存じであろうと存じますから、それの重複を避けたいと存じます。ただこの機会に、その実情にいささか言及いたしまして、私が政府の所信を質したい要点の2、3に触れてみたいと思うのであります。

御承知のごとく兵庫県知事は、この朝鮮人学校に対するところの閉鎖命令を出したのであります。また神戸市長は、学校校舎からの立退きを要求したのであります。また市丸神戸地検検事正は、この問題に対しまするところの煽動者を検挙しておったのでありまするが、これが24日の騒擾において、これらの知事、市長並びに検事正という現地のそれぞれの担当官が、一たび断行した措置を翻して、一応それらの要求を受けざるを得なかった。これはどういう実情であったか。この当日の兵庫県庁におきまする場面を、この際一言申し述べてみたいと存ずるのであります。

当日、ちょうど兵庫県庁におきまして、兵庫県知事並びに神戸市長、検事正あるいは教育部長、これらの、今回の事件に関係を有しまするそれぞれの責任者が、本問題に関してたまたま協議をいたしておったのであります。その県庁に、約1000名ばかりの朝鮮人が押し寄せました。

現在兵庫県庁は、元の兵庫県立第一高等女学校を、戦災後仮庁舎として使用をいたしておるのでありまするが、これが教室を知事室に充てておりまするために、知事副室は一方口になっておりまして、知事室と知事副室は、仮の壁が設けてあるにすぎないのでございます。

たまたまこれらが大挙して押し寄せましたので、知事室に闖入を防ぎますために、官房に関係をいたします県吏員が、内部からこれを阻止せんといたしておったのであります。この仮ドアを多数の暴力によってまず破壊して闖入をいたしました。次に、副室から知事室にはいりまするところのこの仮障壁を、壁ぐるみ破壊をしたのであります。こうして闖入いたしました多数の暴力的な行為者は、ただちに知事の卓上にありました電話器を床上に投げつけて破壊をいたし、通信を遮断いたし、その机の上に飛び上りまして、その辺のガラスは散乱をする。あらゆるいす類はことごとく破壊せざるはなし、こうして一つの威圧を加えまして、これらの関係者に、ただいま前田議員が読み上げられたごとき要求の応諾を迫ったのであります。

かかる際において、この急を聞いてかけつけました少数のM・Pが、何とかこれを阻止せんといたしたのでありまするけれども、これらの闖入者は、撃つなら撃てと婦人も交えて押し迫って、このM・Pの阻止に応じなかったのであります。こういう状態が、遂に強行的にそれぞれ知事、市長、検事正に対して要求事項を承認せしめた。こういう経過をたどっておる次第であります。(略)

今日の朝鮮人が自己の自由意思によって日本に在留いたしておるのでございまするからして、この朝鮮人が日本に留まりまする限り、どこまでも日本の法律に従わなければならないことは周知の事実であります。(略)

私どもは、文化的平和日本を建設してまいりまする上からは、隣邦朝鮮とは永遠に友好的な将来を保持しなければならぬと存じておるのであります。少くともこれは、今日現段階より速やかに出発すべきであると考えておる次第であります。少くとも事件解決は、この見地から政府がしてもらいたいと思うのであります。

しかし、この円満協調、善隣友好の基礎の上に立つといえども、さきに申し上げましたごとく、断固として、日本に在住する限りにおきましては、法治国日本の秩序保持ということに、また日本政府としての権限を保持せねばならぬと考えております。

かように考えてまいりまするときに、最も遺憾に存じますのは、神戸事件におきましては、共産党の党員であります神戸市会議員の堀川一知君が、これの煽動者として検挙されておるのであります。そのほか8名の共産党員が検挙されております。

少くとも善隣友好、円満協調の上に立ってまいらねぼならない際に、これら日本人であるところの共産党員諸君が、民族離間をも来しかねまじきところの煽動的行為をいたし、今日の不祥事件を起しましたことは、日本民族として、愛国的見地よりまことに遺憾至極にたえないと思う次第であります。(拍手)



[012]
法務政務次官(日本社会党) 松永義雄
大阪及び神戸における不祥事件は、まことに法務庁として慨嘆にたえない次第なのでございます。

大阪におきまする、朝鮮人の府庁に対する押しかけ問題は、ただいま前田君よりの御説明によってはっきりいたしておりまする通りに、多数の者が、知事の設置者に対する命令に抗議を申し入れるために府庁に押しかけまして、そうして、ほとんど騒擾にも思われるような行動に出ましたために、遺憾ながら約200名の者が、現行犯として逮捕せらるるに至っておるのであります。

なおまた神戸におきましては、去る10日に、学校閉鎖命令に端を発しまして、これに応じないところの朝鮮人の人々が、団体あるいは職員の父兄らを先頭に立てまして、校舎明渡し絶対反対、日本側学校転学拒否等を決議いたしまして、兵庫県庁に押しかけまして、兵庫県知事に対して面会を要求してまいったのであります。

4月14日午後2時ごろでありますが、在日本朝鮮民主青年同盟委員長ほか約30名の者は、教育部長に対し学校明渡しの反対陳情をなすべく県庁を訪問しました。その際知事におきましては、他用がありまして、差支えがありましたために、ただちに面会する機会を得なかったのでございますが、押しかけて参りました朝鮮人の団体の人々は、徹宵県庁内の部屋中にいすわりまして、そうして知事に対して面会を強要してやまなかったのであります。

15日午前2時ごろ、知事より、これらの抗議申入者に対して会見すべき旨通知し、しかして、兵庫県渉外事務局長室において面会したい旨を申し入れましたところが、副知事室を占拠しておりました前記の朝鮮人の団体は、どうしても副知事室において面会せんことを強要してやまないのでございまして、ついに午後1時30分に至りまして、学務課の公務員の方が、知事はどうしてもここでは面会されませんから立ち退かれたいとの要求をいたしました。

午後4時50分、さらに立退要求書を副知事室において3回にわたって読み上げるに至ったのであります。しかるに、これに対してもなお朝鮮人の団体の人々は、これに応ずる色もないのでありまして、やむを得ず生田警察署木村警部は、退去をこうやって要求されているのであるから、どうかここを立ち去ってもらいたい、もしこれに応ぜられないときは、やむを得ず住居侵入罪に問われるようなことにならぬとも限らぬから、速やかに立ち退くよう、約20分間にわたって最後の勧告をいたしたのでありますが、これに対してすらも、彼らはこれに応ずる気配はなかったのであります。このことからしまして、はなはだ遺憾なことでありますが、建造物侵入罪の現行犯としまして、約70名の方が検挙されるに至ったのであります。

しこうして24日に、きわめて嘆かわしい不祥事が遂にまた再発するに至ったのであります。あたかも24日に、26日ごろに至って朝鮮人約30名がデモをやるかもしれぬというような情報がはいったというので、24日午前9時、兵庫県庁の知事室で、知事、神戸市長、国家警察長、神戸自治警察局長、検事正らが相寄りまして、警備対策を協議しておりましたところが、朝鮮人約50名が、何1000名という応援をあとに受けまして、乱入してまいりまして、あるいは電話を壊し、あるいは乱暴し、喧騒を極めて、外部との交通をまったく遮断し、知事に対して学校閉鎖の申入れの撒回を要求したのであります。あるいはまた警察長、あるいは検事正に対して、拘留中の被疑者の釈放並びにその他の行動について何らの処分も行わない旨の誓約を要求するに至ったのでありまして、まことに事態は極度に不安の体を呈したのであります。

当日午後10時に至りまして、軍政部からは非常事態発生の宣言が発せられまして、知事及び検事正、検察庁の人々は、これらの趣旨を体しまして、翌25日午前3時ごろから、鮮人の検挙に当ったのでございます。





昭和23年04月30日 衆議院 治安及び地方制度委員会
[016]
政府委員(国家地方警察本部次長) 溝淵増己
大阪と神戸におきます朝鮮人学校の問題に関しまする事件について、現地を視察してまいりました状況について簡単に申し上げたいと思います。神戸の方が問題としても大きく取上げられておりますので、神戸を中心にして申し上げたいと思います。

実は神戸におきましては、学校閉鎖問題が起ると同時に、朝鮮人側の方から県に対しまして、この閉鎖問題の猶予につきまして交渉をしつつあったようでありまして、すでに、本月の14日、16日の2回にわたりまして知事に面会を求め、知事不在のため、副知事が面接をしておりましたが、その際どうしても副知事が承知しないので、それがために居坐り戦術をやりまして、その結果副知事の方から退去命令を出しました。そうしてそれに応じない結果、これに対しまして、約70名を検挙しまして、不法退去罪で勾引いたしておったのであります。

その後相当いろいろな計画も相手方にあったようでありますが、26日に大デモ行進をやるというので、それに対する準備はいたしておったのであります。

ところが、それより先に、23日に閉鎖命令に応じない3つの学校に対しまして、仮処分の執行をいたしたのであります。ところが、うち2校は執行ができましたけれども、1校だけは相手方が相当多数集まりまして執行ができない、こういうことになりましたので、24日にこの対策をどうするかというので、知事、副知事、市の警察長、県の警察長、検事正、次席検事、市長助役、それから市と府の警備の係の部長など、この事件につきまして権限をもっておる首脳部が全部集まって知事室で会議をいたしておったのであります。

その会議をやっておることを朝鮮人側に探知されまして、そして監禁されたのであります。相手方は26日のデモということを大きく出しておいて、そして何か不意に衝こうというような考えであったと思うのであります。ここで全部が監禁にされたということが最初の失敗であったと考えるのであります。

監禁にされました首脳部と朝鮮人側との交渉の経過は、私その場におりました県の専任部長から話を聴いたのでありますが、その経緯を申しますと、11時ごろに不意にはいってきまして、そして知事に対し相当乱暴な行動があったらしいのでありますが、しばらくの間に電話線を切るし、いろいろ乱暴をした上で交渉したのであります。

その際相手方の非常な強い威圧のために知事は遂に、たしか1時過ぎだった聞きましたが、閉鎖命令の撤回を約したそうであります。そして閉鎖命令が撤回をいたしますと、たてつけに、次には教育内容問題について交渉が始まり、次には検事正に対しまして、今まで処置し、拘留している70名の釈放を誓約させ、また最後には当日の暴行者に対する処罰をしないということまで誓約させ、一々書面を書かされたというような結果で、4時過ぎに会談を終った、こういうことになっております。

こうした長い間監禁同様にされている間に、外部における警察官がなぜその処置ができなかったかという問題についてでありますが、実は先ほど申しましたように、26日のデモということにつきましては、かなり周到に計画いたしておりましたが、当日はほとんどそういう計画のあることを知らなかったために、県の警察長は他の用件で大阪に行くべく室外に出ておったのであります。

そういうような関係でありまして、警察長が知事その他が虜になっているという事実を知ったのは11時20分ごろであったと聞きましたが、それから急いで、警察官を招集いたしましたけれども、すでに手後れであったという感じがするのであります。なお警察官招集につきましては、市内の警察につきましては、市に残っております庶務部長に連絡して庶務部長の方から招集したのであります。

県の方におきましては、学校におる専任の巡査と、本部におる者を集めまして、これに当らせたのでありますが、すでにして知事室と外部との連絡は全部切れておったのでありまして、廊下にはほとんど暴民化した朝鮮人が300名前後詰めかけ、知事室の中の模様は、電話も切れておりその他全然連絡はとれなかったような状況になっておったのでありまして、警察としましては、これに対する対策として、まず外部にあとからあとから詰めかけてくる暴民をいかにして食い止めるかということに努力いたして、県庁前の道路の方面の整理をしておって、内部の方につきましては手が届かなかったという事実もあるようでありますが、最も大きな原因は、警察官が招集途中におきまして、1時過ぎ、知事が最初の学校閉鎖の命令を撤回すると言った最初の妥協といいますか、最初に相手方に承認を与えたそのときに、監禁になっておりましたところの警察長は、朝鮮人から強制を受けまして、外で朝鮮人の取締りを厳重にやられたら交渉がうまくいかないから、すでに知事が閉鎖命令を撤回した以上、取締りの必要はないじゃないか、だから取締りをやめろということを警察長の名前で名刺に書いて市の保安部長に持たせて外部に指令を出した。従いまして、せっかく集まった警察官が相当厳重に取締りをしておるところへそうした指令が来たので、警察官としてもこれに対する内部の交渉がそこまでいっておればというような気持も起きまして、せっかくの取締りが鈍ったというような面もあるかと存じます。

それにしても4時まで交渉が続いておるからというように考えれば、考えられないこともないのでありますが、あまり外部で警察官と朝鮮人とが乱闘をやっておりましては交渉もうまくいかないし、また知事以下の身辺の危険というようなことも考えたというようなことが、事態の推移をあそこまで長引かせた原因ではないかと考えるのであります。

結局4時ごろになりまして全部朝鮮人側の言う通りの協約ができて会談は終ったのでありますが、その間におきまして外部から知事室との連絡が全然とれなかったということは非常に遺憾な事実であったと思います。

それから御承知のように11時になりまして、進駐軍から非常宣言と申しますか、特別な命令が出て検挙に着手いたしました。大体当日集まっておりました首脳部はほとんど全部検挙いたしておるのであります。さいわいにして現場で写真その他をとっておりましたので、顔も――知事室ではありませんが、外部で相当写真をとっておりましたので、検挙はそうむずかしくなかったようであります。

神戸における状態は大体さような状況と承知しております。

なお大阪におきましては、23日に御承知のように1万ほどの朝鮮人が府庁前でデモをやって、そのデモの帰りに解散と見せかけて府庁になだれこんで、一瞬の間に府庁の1階から3階までの間の廊下に充満してしまったという事実でありますが、それまでに約3時間ほど大塚副知事と朝鮮人側の代表と交渉を続けておったのでありますが、副知事は最後までがんばりまして、ついに4時ごろになって機会を見て逃げ出したということで終ったのでありますが、警察側としましては不意に庁内になだれこまれたので、まず退去命令を出すという順序をとり、そうして4時過ぎになりまして正式に知事の命令により退去命令を出しました。

一方当日はデモがありましたので、ある程度の警察官の待機員をもっておりましたが、その上に新しく各署からの応援を求めました。その中で最も力になりましたのは、警察練習所に緊急増員の警察官が1500名ほどおりましたので、これを一遍に繰り出しまして、この取締りに当りました。その結果1時間ないし2時間程度で、全部を外部に出すことができたのであります。警察官の中には相当負傷もたくさん出ているのであります。

23日の事態は大体かようなことでありますが、26日にさらに交渉委員が参りまして、そうしてこれもまた知事が相当長くがんばっている間に、第7軍団の司令官から、この交渉は打切れ、そうして一切デモは解散せよというような命令が出て事無く終ったこういうような実情であります。一応簡単に経過を御報告申し上げます。





昭和23年04月30日 参議院 治安及び地方制度・司法連合委員
[002]
法務総裁(日本社会党) 鈴木義男
今回神戸、大阪に発生いたしました朝鮮人の騒擾事件は、誠に遺憾な事件であります。私は27日、8日の両日に亘りまして、現地について具(つぶ)さに調査をいたして参った次第であります。これを詳細に申述べまするには長時間を要しまするので、ここでは極く簡略に概要を御報告申上げまして、他は御質問等に応じて申述べたいと存じます。

今回の事件は、山口、岡山等の場合と同じく、政府の方針に基きまして、大阪府、兵庫県知事が、朝鮮人だけで経営をし、朝鮮語を以て朝鮮人の子弟だけを教育する学校、日本の学校を借りて使っておるのでありまするが、初等教育、義務教育でありますが、その教育をその府県内に許しておくことは適当でないというので、すべて日本の教育基本法に則る教育に改めまするために、朝鮮人の学校に閉鎖を命じ、それぞれの校舎の管理をそれぞれの自治体に委ね、朝鮮人も入学せしめ、朝鮮語による教育を欲するならば、課外においてそれをなすべきことを要請いたしましたところ、朝鮮人諸君はこれを不当として、この命令に服することを拒み、多衆の威力によって、各知事らをしてこの命令を撤回せしめようとして起ったことであります。

そもそも終戦後、朝鮮人は第三国人となったのでありますから、政府はしばしば声明を発して占領軍最高司令官の指令に基き、朝鮮に帰るものは喜んで便宜を供与する。帰って頂きたい。併しいろいろの事情で帰ることができない、又は帰ることを欲せざるために日本に残るものは、日本国法に従ってその義務を尽すことを条件として、健全なる生活を営むことを許しておるわけであります。

然るに朝鮮人諸君の中には、必ずしも日本の法律に服従する義務はない、というような考え方を持っておる人が少くないようでありまして、今回のようなことが起りましたことは、誠に政府としては遺憾に存じておる次第であります。

現地についていろいろ承りましたところが、可なりその運動というものが組織的であり計画的であったことに、実は驚いたのであります。相当の別意を以ちまして、そうしてそれぞれ神戸において大阪において或いはその他の地域におきましても、継続的に同一種の運動が行われる予定であったのであります。

大阪の方面におきましては、夙(つと)にそういう方面の情報を入手いたしておりましたので、警察その他が万全の策を講じましたために、比較的不都合な結果に到達しないで済んだのありますが、神戸におきましては当局者に若干の油断があったことと相俟(あいま)ちまして、御承知のような知事、検事正、市長その他が数時間に亘りまして監禁をせられ、遂に閉鎖命令の撤回をし、拘留中の被疑者を釈放するの止むなきに至ったというような不祥事件が発生いたしたわけであります。

便宜神戸の状況を先に申上げまして、大阪の状況を後にいたしたいと思います。

4月10日……その前にいろいろな経緯があるのでありますが、どうしても任意に学校を明渡さないので、遂に兵庫県知事は4月10日に至りまして、12日を限って学校の閉鎖を命じ、学校の返還を命じたのであります。

然るに朝鮮人の諸君はこの命令に服さずして、4月15日にこの命令を撤回すべく迫りまして、沢山の朝鮮人が大挙して県庁を訪れ、知事室副知事室を占拠いたしまして、いわゆる強談威迫を加えたのであります。知事も副知事もおらなかったために、70名程の朝鮮人は副知事の部屋に留まりまして、夜を徹して退去しなかったのであります。そこで検察当局は住居侵入である、要求せられて退去しないのであるから不退去であるということで70名を検挙いたしまして、そのうち65名を勾留に付したのであります。

それで返して呉れません学校は、これを強制的に神戸市の管理に移さなければなりませんのに求めました結果、裁判所の許容するところとなりまして、執達吏がこの占有を移転せしむべく4月23日二宮、稗田、神楽の3小学校に赴いたのであります。いずれの学校でも朝鮮が占拠いたしておりまして容易に執行ができないであろうということを予想いたしましたために、二宮、稗田の両小学校に参りますときには、警官を150人ほど連れて参りまして、これは幸い執行を完了することができたのであります。神楽小学校に参りました時には、すでに沢山の朝鮮人が占拠しておるという情報を得ておりましたので、警官を特に200人に増員いたしまして、これを伴って、執行に参ったのでありまするが、1200人からの朝鮮人がおりまして中に入れさせないということから、遂に執行をすることができずして帰って参ったわけであります。

尚ここに不幸なことは、山口、岡山においても同じようなことがありまして、山口でも10時間ほど坐り込み戦術をやり、岡山におきましても6時間ほど坐り込み戦術をやった結果、実際は撤回したのではないのでありますが、暫く猶予するというような結果が得られましたために、山口や岡山では成功したという流説が朝鮮人諸君の間に伝わっておったようであるのであります。

そこで十分に粘るならば成功するという予想の下に、大阪、神戸等においては計画がなされたのではないかと思われるのであります。相当物情騒然としておりまして、なにかあるという気配にあったのでありますから、警察といたしましては十分にこれらについて対策なり、用意なりがあるべきであったと思うのでありますが、神戸におきましてはその点について十分の準備がなかったということは、今日から考えて遺憾に考えられるのであります。

尚執行が不能に終りましたので、今後の対策をどうしようかということで、4月24日午前9時半から県庁の3階西南隅の知事室において、岸田兵庫県知事、吉川副知事、井手国家警察の警察長、三宅警備部長、堀教育部長、中田視学、小寺市長、関助役、古山市警察局長、安田秘書課長、小山保安部長、村上警備課長、田村公安委員、田中渉外局の事務局長、それから検察庁から市丸検事正、田辺次席検事、この16名が集まりまして、この仮処分が執行不能に終ったことについて、更に強行すべきであるか、或いは若干延期して形勢を見るべきであるかというようなことについて協議をいたし、尚26日には数万人のデモンストレーションを行うという噂でありますから、それに対してどういう対策を講ずべきかというような協議をいたしたのであります。

これは正確な証拠はまだ挙らないのでありますが、これらの兵庫県の要人は、県庁内の一室に集まりましたことを、内部から通報した者があるかの如く、午前10時中頃から三々五々朝鮮人諸君が段々県庁の周りに集まって参りまして、2、300名に達しまするや、一度にこの3階の知事室を目掛けて上って参りまして、先進部隊は知事室に入る、それからその他の諸君は皆廊下に坐り込むというような行動に出たわけであります。尚入口を朝鮮人諸君が塞ぎまして外の者を入れさせないようにいたしたのであります。

最初知事室におきましては、戸を閉めてこれらの群衆を入れないように努力いたしておったのでありまするが、体当りを以てドアーを蹴る、破るというようなことで、暫くの間は揉み合っておったのでありますが、遂に中に入って来ることになった。知事室と控えの間と2つありまして、控えの間との間に又戸があるのでありますが、その戸を破り同時に壁が比較的脆弱にできておりましたために、その壁を破壊いたしまして穴をあけ、そして皆その穴を通って知事室になだれ込んだのであります。

先ず問答等を始めまする前に、電話機を……、3台ありましたが、線を切断してこれを床の上に投げる。それから知事の机はガラスが張ってありましたが、これを滅茶苦茶に壊す、それから机、椅子すべてそういうものを乱暴に壊しまして、そうして然る後命令の撤回の談判を始めたわけであります。

その間県庁の外部には刻々朝鮮人諸君が集って参りまして、数1000の朝鮮人諸君が県庁を取巻いて示威をするということになり、中ではそれらの人々が知事、その他と交渉を進めておる、こういうことになったのでありまして、要するに要求は簡単でありまして、命令を撤回せよということであります。

日本は30数年前に朝鮮を併合し、あらゆる圧迫を我々に加えた、そうして今や戦争に負けて、我々が独立国となり、第三国人として自分の欲する生活を営もうとしておるときに、再び帝国主義を復活せしめて、日本の教育の下に我々の子弟を復せしめんとするがごときは、到底許すことができないのだというのが主たる論拠でありまして、繰返し、繰返しそういうことを申して撤回を迫ったそうであります。

それで事の急なるを聞きまして、神戸憲兵隊のクルップ大尉が下士官2名を伴いまして、日本人の警察官はどうしても入ろうとしましたが入れなかったのでありまして、止むを得ず進駐軍のMPならば入ることができようというので入って参りまして知事の救援に来て呉れたのであります。数時間を経た後だそうであります。

その部屋の中におりまする朝鮮人諸君に退去すべきことを命じたのであるが、聞かない。それでクルップ大尉及び下士官はピストルを向けて撃つぞということを申して威嚇いたしました。ところが朝鮮人諸君は、胸を拡げて、撃て、撃つならば撃て、我々は生命などを惜んで来ておるのじゃないのだ。初めから生命を投げ出して来ておるのだから、撃つならば撃てというので、こういうことで迫られました為に、クルップ大尉もそこで僅かの弾丸を発射いたしましても問題は解決しない、より大きな力を借りなければ相成らんということで、一度そこを退去されたそうであります。

神戸地区の憲兵司令官はメノファーという准将が神戸地区の最高司令官であるのでありますが、丁度京都に出張して留守であったのだそうであります。そのために臨機の処置を取ることができなかった。それが一つは不幸なる事態を起すに至った理由でもあるのでありまするが、次に外部からは急援が来ない。どうも非常に形勢が険悪である。このまま継続して行くならば、どういう乱暴を働くかもわからないという、この窮状に恐れられたと思うのでありますが、遂に午後5時頃になりまして、知事はそれじゃ撤回するということを申すことに相成ったのであります。それならば、それを認めろというようなことから書面に認めてこれを手交する、命令を撤回した以上はこの犠牲となって刑務所に勾留せられている我々の同志は、当然釈放せられるものと信ずるから釈放せよということを検事正に迫ったわけであります。検事正は知事と協議の結果、すでに閉鎖命令が撤回せられました以上は、彼らを勾留した起訴事実がなくなったわけでありますから、そこで釈放することも止むを得ないであろう。こういう趣旨の下に釈放指揮に署名するということになりまして、席におりました田辺検事がその指揮書を持って、朝鮮人に護衛せられて裁判所に参りまして、釈放の指揮を終り65名が釈放されたのであります。その報告を朝鮮人諸君が受けまするや、次いで本日ここでやった暴行については一切処罰しないという一札を入れろということで、これも大分長い間押問答した末でありまするが、事態止むを得ざるものと考えてその一札を渡しまして、それで朝鮮人諸君が引揚げて行った。こういうこととになったのであります。(略)

それでメノファー司令官は夕刻遅くお帰りになりまして、それでこの事件の概要を知られて、非常に驚いて第8軍司令部と連絡の上断乎たる処置をとるということに相成りまして、知事、検事正等を夜11時頃招集をされまして、事態かくのごとくなった以上非常事態の宣言を行う、一種の戒厳に近い態度をとる。そうして本日暴行をした者、デモを行った者は一斉に検挙するから助力せよ、こういう御命令で、それと前後して知事及び検事正は、自分が先に行なった意思表示は強迫に基くものであるから、当然無効なものであって、閉鎖は存続しているものである。拘留も解かれたものではない、出た者は引戻すからしてさよう心得よということを宣言いたしたのであります。尚翌日文書に認めてこのことを明かにいたしておるのであります。(略)

その後私がおりまする時までには1000百何名かを検挙いたしまして、その中、デモに参加しなかったというような者は帰しまして、800余名を留置いたしておったのでありまするが、その後全部で検挙した者1600余名ということに相成っております。現地司令官のお話によりますると、事態の重き者は軍で直接に軍事裁判に付して裁く、事案の軽き者は、言葉の関係もあり数も非常に多いのであるから、日本の裁判所に引渡すからして、日本の検察庁並に裁判所において敏速に処理すべきことを命ぜられておるのであります。判事検事等を増員いたしまして適当に裁判を促進する予定であります。

それから大阪の方は、同じ要求によりまして、23日に0時30分頃から知事室において、知事が不在でありましたために、大塚副知事が浜田学務課長と、朝鮮人代表者30数名と会見することになりまして、激しい論争が続けられたのでありますが、これは外部におけるいろいろなアジ演説、或いはいろいろ行動と混乱に陥ったのでありまして、結局数時間議論を続けましたが、解決に至らないで交渉は物別れと相成りましたので、4時半頃副知事は裏のドアーから脱出いたしまして、そうしてずっと別な方面から密かに、県庁を脱出したのであります。

そのことが分りまして、副知事を逃がしたということから、仲間の間に紛争が起りまして、いろいろ混乱を惹き起したのでありまするが、結局警察が善処いたしましたために、この日は大体多少の怪我人を出したという程度で、約2000名程集まっておりました群衆を解散せしむることに成功したのであります。

然るに25日に再び同一の要求を提げて、坐り込み戦術をやるということに相成りまして、今度は3ケ所に大会を開いて、そうしてそれぞれ激励演説等がありまして、総数約2万名が大手前の公園に集まることになったのであります。これは……無論2、3日前からそれぞれ準備に着手して、戸別訪問のようなことをやりまして狩出しを行なって、できるだけこのデモに参加するように勧誘したらしいのでありまするが、或いは米、金等を供出せしめまして、遠くから来た同志に対する食糧とし、旅費とするというようなことも行われたということであります。半分以上は学童、婦女子であったということでありまするから、それぞれ狩出しによって出て来たということが想像されるのであります。

それで警察が得た情報によりますると、前の晩朝鮮人連盟大阪支部において、翌日の運動方針についてはできるだけ合法的にへたり込み戦術だけでやれという一派と、警察或いは進駐軍と雖(いえど)も若し弾圧を加えるならば敢然これに抵抗して、死を賭して斗うべしという一派とがありまして、相当夜を徹して議論は紛糾したようでありまするが、結局結論に到達せずして大会に臨んだというふうに報告されておるのであります。

各会場におきまして、それぞれ激励の演説等がありまして、ここにその傍聴した者の記録がありまするが、一々申上げることは如何かと思いまするので、1つ2つだけ代表的なものを読み上げることにいたしまするが、日本共産党の河上貫一君は、これは大手前公園における激励演説の一節でありまするが、「朝鮮人教育問題は、朝鮮人を奴隷化するものであり、働く人民大衆を無知に追込まんとする支配階級の陰謀である。これが芦田内閣の性格である。この闘争に負けたら、更に大なる弾圧が続くであろう。学校閉鎖は、単に教育問題ではなく、民族闘争であり、階級闘争である。この重大意義を認識して、強力に闘争して貰いたい」。というような演説をいたしましたり、或いは、まあ大体朝鮮人学校閉鎖は、日本帝国主義の再現であるという演説が繰返し行われたのであります。

生野支部の大会――大手前に来る前の大会でありますが――においては、日本共産党関西地方委員柳田春夫氏という人から、次のごときメッセージを読み上げたというのであります。

「私は日本共産党を代表して朝鮮の皆様に激励の言葉を申上げる。今回の日本政府が行いたる朝鮮学校閉鎖命令に対しては、日本共産党は、朝鮮の皆様と同じく絶対に反対し、皆様と一緒に共同闘争を展開しております。朝鮮独立と朝鮮教育自主は絶対死守しなければならん事項であるということは、朝鮮の皆様は心肝に徹せなくてはならん。朝鮮学校閉鎖命令反対闘争は、朝鮮皆様の同胞が、下関や岡山や神戸において活発に展開せられ、多数の犠牲者を出しておられるのである。本日皆様が行われる闘争が若し敗北せられた一節は、これら多くの犠牲者が浮ぶことができないのであります故、本日の闘争は、皆様が死しても目的達成に奮闘せられなければならん。我が共産党においても、皆様の必死の雄叫びに対し、全面的に支持して、共に共同闘争を開始したのである。現に大阪府庁前には、我らの同志が皆様の来るのを待っておるのである。皆様、本日の闘争は朝鮮人の死活問題であるから、大なる奮闘の程お折りいたします」。

といったような、大体同じような趣旨の激励の演説が至る所に展開をされたわけでありまして、これによって大分勇気を附けられたということは、どうも否定することができないようであります。

尚大阪におきましては、後に数100人を検挙いたしまして、そのうち35名程を勾留いたしました。尚身柄を釈放しております者の中からも、結局起訴することに相成るであろうと思われるのでありまするが、その勾留しておりまする諸君の中には、9名が日本人でありまして、その大部分が全逓の人であり、その他の共産党員であるということに報告せられておるのであります。

尚この日は知事が会談をいたしまして、やはり前と同じ問答が繰返されておりましたが、結局午後4時に至りまして、いつまで話をしても撤回はできないという以上は同じことであるというので、連絡によりまして、大阪の軍政部長クレーグ大佐がサリバン中佐という方を伴いましてやって参りまして、大阪の場合は初めから警察官を中に入れて置きましたから、それで余程、ドアも破壊され、机なども傷けられておりましたけれども、神戸のような惨憺たる光景ではなかったのであります。併し警官はなかなか中に入れなかったのでありますが、この大佐と中佐の方は入って参りまして、そうして会談はこれ以上継続しても無意味であるからして止めよということを命ぜられたのであります。

尚この群集を退去せしめるためには、強力なるあらゆる手段を使ってもよろしい、武器を使用してもよろしいという命令を出されまして、尚鈴木警察局長に対して、解散命令をこの交渉委員長から群集に伝えさせよという御注意がありました結果、解散命令を警察局長が出したのであります、

委員長は元何某という人であると記憶いたしまするが、メガホンで放送をいたしたのであります。併しながら興奮してしておりまする群集は、なかなか服従しない。そこで止むを得ず先ず第一にポンプのホースを以て水を掛けることによって退去させることにいたしまして、県庁前からホースで水を掛けて退去を迫ったのです。それで余程崩れたのでありまするが、それでも尚どうしても頑張る者が相当おりましたので、止むを得ず小競り合いが行われ、遂にピストルを発射するというようなことにも相成ったのでありまして、これは非常に遺憾なことでありまするが、或いは警官の方も、「とうがらし」を卵の中に入れて目潰しを食わされた結果、眼が見えなくなった。それで捕まえられて、散々に袋叩きに相なりまして、非常な打撲傷を負うたというようなのを初め、30数名の負傷警官を出した次第であります。

又朝鮮人側にも多少の負傷者を生じたようでありまして、殊にその弾丸が16歳の少年にあたりまして、遂に、死亡するに至ったという報告を聞いておるのであります。尚朝鮮人側の負傷者につきましては、引続いて取調べを命じてありまするが、まだ正確な報告は受けておらないのであります。先程共産党代表の方々から伺ったところによりますと、相当数の怪我人があり、犠牲があるということであります。

そういうふうなことで結局解散をいたしまして、大阪の警察局長並びに国家警察の管区本部長その他の処置は、事前の予防策におきましても、当日の行動におきましても、臨機の処置を得まして、これらの、犠牲がありましたけれども、ともかくもこれだけの大衆を無事に解散せしめることができたということは、これは多としなければならないと思っておるのでありまして、第25師団長から文書に認められたお褒めの言葉を頂いておるというような実情にあるのであります。



[009]
法務総裁(日本社会党) 鈴木義男
実は神戸においてかくのごとき事件が起っておることは、電話連絡その他が不十分でありますために、余程遅れて政府は承知いたしたのでありまして、アメリカの進駐軍の方は流石に直通電話を持っておりまして、直ぐにその日のうちに連絡がとられたようであります。

直ちにアイケル・バーガー中将の指令があって、非常事態宣言が神戸につきましては行われたのであります。大阪についてはその必要なしとして行われておらないことは御承知の通りであります。





昭和23年04月30日 衆議院 本会議
[003]
法務総裁(日本社会党) 鈴木義男
(全文略)





昭和23年05月01日 参議院 本会議
[014]
法務総裁(日本社会党) 鈴木義男
(全文略)



[016]
日本共産党 細川嘉六
大阪、神戸において学校閉鎖問題につき、朝鮮人の騒擾事件なるものがあり、それに対して政府はこれに善処することができず、暴行、脅迫があったということでGHQの非常事態宣言が出されたことは甚だ遺憾であります。更に今日この問題を、本議場において話しまするときに、更に私は議員諸君の冷静と道理とを期待しなければなりません。朝鮮人教育問題は、よく話せば相互了解ができない筈のものではありません。責任ある朝連の朝鮮教育対策委員会の主張によりますと、日本に住んでいる限り、我々は法律を守り、あらゆる面で日本の復興のために協力したい。

第1に教育用語は朝鮮語でする。これは朝鮮人が国に帰らんならんものだから、子供に朝鮮語を教えなければならんという主張であります。

第2は、教科書は朝鮮人初等教材編纂委員会で、在日朝鮮児童に適合するように編集した教科書を使用する。そうしてGHQの許可を得たものを使用する、これは当然であります。

第3には、学校の経営管理は、学校単位に組織された学校管理組合で行う。

それから第4には、日本語を正科として採用する。

以上の4項目で、それはその通りの言葉で申すのであります。これさえ認めて貰えば、文部省の言う学校教育法になる私立学校の認可を受けると言っておるのであります。この要求に間違いがあろうか、どこに無理があろうか、こう言っておるのであります。

我が共産党は、この主張に対して反対するわけには行きません。これは道理である。無理がない。併しながら断じて我が共産党は、デモンストレーションにおいて暴力を振えとは少しも述べておりません。





昭和23年05月01日 衆議院 司法委員会
[007]
法務総裁(日本社会党) 鈴木義男
(全文略)





昭和23年05月07日 衆議院 本会議
[011]
民主党(自由民主党) 中村俊夫
先般大阪・神戸に勃発いたしました、朝鮮人学校閉鎖問題より派生いたしました不祥事件につきまして、司法委員会より山中日露史(※日本社会党)君、明禮輝三郎(※民主自由党)君及び私の3名の委員が現地視察に派遣されまして調査をいたしましたその結果を、ここに御報告申し上げたいと思うのであります。

その前に、簡単に調査の径路を御報告申し上げますが、4月30日に大阪の検察庁、大阪府庁に参りまして、各関係吏員より事情を聴取いたしました。さらに別室におきまして、共産党の関西地方委員の諸君から意見を聴きました。

翌日さらに神戸に参りまして、神戸の地方検察庁に至り、さらに憲兵司令官、軍政官を訪問いたしまして、次いで兵庫県庁におきまして、兵庫県知事、神戸市長、神戸市公安委員長、国家・自治両警察長並びに教育関係の各関係者より事情を聴取いたしました。さらに騒擾の現場を検分いたし、翌日さらに共産党神戸地区委員会の諸君より事情を聴取いたした次第であります。

さらに私は、4月15日の兵庫県庁における70名の検挙直前の状況並びに4月24日の県庁前における朝鮮人約2000名の騒擾の現場の目撃者の私がその1人であるということも申し添えておきたいと思うのであります。

事件の発端を申し上げますと、昭和23年1月24日附文書によりまして、文部省より各府県知事あてに、左の通りの通牒が発せられたのであります。

現在日本に在留する朝鮮人は、昭和21年11月20日附総司令部発表により、日本の法令に服しなければならない、従って、朝鮮人の子弟であっても学齢に該当する者は日本人と同様、市町村立または私立の小学校または中学校に就学させなければならない、

また私立の小学校または中学校の設置は、学校教育法の定めるところによって、都道府県監督庁の認可を受けなければならない、学齢児童または学齢生徒の教育については、各種学校の設置は認められない、

私立の小学校及び中学校には、教育基本法のみならず、設置、廃止、教科書、教科内容については、学校教育法における総則並びに小学校及び中学校法に関する規定が適用される、

なお朝鮮語等の教育を課外に行うことは差支えない、

学齢児童及び学齢生徒以外の者の教育については各種学校の設置が認められ、学校教育法第83条及び第84条の規定が適用される、

前2項の趣旨を実施するため適切な処置を講ぜられたい

という文部省の通牒が、全国の府県知事あてに発送されたのであります。

これを契機といたしまして、まず大阪事件について簡単に御報告申し上げます。大阪府では、2月10日、朝鮮人学校長及び学校設立者に対して、前記文部省の通牒を発送して、同時に朝鮮人学校は法令による認可手続をとり、また朝鮮人学校教職員の適格審査をただちに施行すべき旨の通牒を発送したのであります。

2月26日、大阪府は右に関する朝鮮人学校長会議を開催し、さらに3月12日、同様の会議を開いたのでありますけれども、朝鮮人代表者の集合の数が少く、しかも、その来会いたしましたる朝鮮人は、いずれも教育の自主性を強調して反対したのであります。

3月16日、大阪府は各地方事務所長、市町村長、朝鮮人学校長、朝鮮人連盟委員長その他に対して左の通告を発し、これが23日に送逹されたのであります。

朝鮮人学校の校舎貸与契約期限満了は3月末日であるから、期日限り明け渡すこと。貸与契約の延期及び再契約はなさざること。

さらに3月23日、大阪府は各朝鮮人学校に、3月31日限り学校を閉鎖すべき勧告書をやったのであります。

さらに3月下旬、関係市町村においては、各管内の校舎明渡しを要求し、厳重警告を発せしめたのでありますけれども、朝鮮人側はこれに応じなかった。

4月12日、朝鮮人学校19校に対して、4月15日限り閉鎖すべき旨の通逹をさらに発送したのであります。

このような経過をたどりまして、大阪府当局は、指令または指示に基いて周到なる手続をしたのでありますけれども、19校のうち、明渡しをなしたのはわずかに6校、他は全部これに応じないのみか、4月23日、大阪朝鮮人教育問題闘争委員会の名をもって府庁前に集合、同日午後2時府庁前に集合したる者約7000名、これに全逓幹部20名、その他共産党員約20名が参加応援したと報告を受けております。

これよりさき、同日0時半ごろより、すでに大塚副知事、浜田学務課長と朝鮮人代表30名とが、本件に関して知事室で面会、学校閉鎖命令撤回をめぐって折衝中であったのでありますが、このころに、府庁前に集合中の大群衆に対しまして、全逓の一員が、ただいま朝鮮人師範学校が日本官憲によって占拠されたという演説をいたしましたので、にわかに群集は色めき立ちまして、スクラムを組み、喊声をあげて、府庁の1階から4階になだれを打って殺到いたしまして、身動きもできない混乱になり、遂に知事室へも乱入するに至ったのであります。

このとき知事室にあった大塚副知事は、身の危険を察知いたしまして、巧妙に別室より退避いたしたのであります。この副知事の姿を見失った群集は、にわかに騒ぎ出しまして、府庁内の器物を破壊する等の暴行を始めました。

この日動員されたる警察官は、合計約4800名であったのであります。これらの警察官によって午後7時半ごろまでに全部府庁より追い出したのでありますが、このとき警察官側に負傷者31名、朝鮮人側にも負傷者を出したのでありますが、その数は不明であります。一方検察庁は、右騒乱に対して、騒擾罪の嫌疑をもって179名を検挙いたしております。

翌24日朝早く、これらの検挙されましたる被疑者の収容警察でありまする南警察署に、約500名の朝鮮人が押しかけ、午後3時ごろより警察官との間に乱闘となって、れんがを投げつけたりいたしまして、警察官約13名負傷いたし、朝鮮人暴行者6名の検挙があったのであります。

4月26日午後1時、朝鮮人の大部分をまじえた2万5000の群集が、府庁前の大手前公園に集合いたしまして、代表者5名を選んで赤間知事に面会折衝いたしましたが、結局決裂をいたしました。

一方群集に対しては解散命令を発したのでありますが、応じなかったために、群集と警察官との間に乱闘を生じ、遂に警官20~30名負傷いたしました。一方警察側の発砲によりまして、朝鮮人1名死亡、他に若干の負傷者を生ずる不祥事が惹起されたのでございます。

右大阪事件に関しましては、4月22日、共産党員岩井某方に党員10名が集合、朝鮮人学校閉鎖問題について朝鮮人側に応援する旨の談合をなしたこと、及び同日全逓組合員の一部が逓信局内において委員会を開いて、同様応援をなす旨決議をして、各支部に人員を派遣した等のことが、被疑者の取調べによって明かにされておりますが、なおわれわれ委員に面会を求めたる日本共産党関西地方委員会委員の談により、共産党員が朝鮮人側の運動に参加せる事実があり、かつ4月24日のデモの最中に、日本共産党関西地方委員会の名によって宣伝ビラの散布及び共産党員による群衆に対するアジ演説等の事実が、目撃者の談によって語られておるのであります。以上が大阪事件の概要であります。

兵庫県の問題につきましては、主として神戸市内の朝鮮人学校4校の閉鎖に関して生じた問題でありまして、これは神楽小学校の2校、二宮小学校、稗田小学校各1校、この前記4校に対して、昭和21年3月、神戸市教育局は、朝鮮人連盟及び同建国促進青年同盟に対して、口頭で右4校を貸与しておりまして、同時に朝鮮人学校が開設されたといふ事実が、まず前提となっておるのでございます。

兵庫県当局では、冒頭に述べましたる文部省の通逹を、ただちに朝鮮人連盟本部、朝鮮建国促進青年同盟本部、各地方事務所長、各市長に発送いたしました。次いで、3月5日以後数回にわたって、関係方面より兵庫県当局に対して、朝鮮人学校閉鎖問題を急速に解決すべき旨の勧告があったのであります。よって兵庫県当局は、4月9日、右勧告の趣きを関係者一同に係員を派して伝逹させ、これと同時に、朝鮮人学齢児童・生徒の公立小中学校受入れについて遺憾なきようとの通知を発し、私立学校設置の場合は正式に認可申請をなすべき旨朝鮮人側に勧告、かつ神戸新聞、県公報にも同様の事項を掲載して、一般に通告しております。

一方神戸市当局は、兵庫県からの通牒によって、4月8日、この4校に立退きを通告、翌9日、重ねて兵庫県より学校閉鎖命令を発せられたので、同10日、右閉鎖命令を各関係朝鮮人代表に伝逹手交しております。この間、朝鮮人代表はしばしば小寺市長に面談、閉鎖反対の陳情をしておるのでありまするけれども、その都度、市長はこれを拒否しております。

4月12日、朝鮮人学校父兄代表20~30名が副知事に面会を求め、学校閉鎖命令の撤回、立退きの猶予、私立学校設置認可手続を簡単にされたき旨の要求を提出しているのでありますけれども、副知事はこれに対して、命令撤回及び立退きの猶予は不可能である、学校の認可は法規に従うことを回答したので、代表はそのまま引取ったのであります。この結果、4月15日の検挙事件が発生したのでございます。

4月14日、父兄代表約30名、後に約70名となったのでありますが、知事に面会を求めてきたけれども、知事、副知事不在のために、午後1時半ごろから、堀教育部長が副知事室において面会、再び閉鎖命令の撤回あるいは立退猶予等を申し出たのでありますけれども、部長より不可能なる旨を回答したのであります。これに対しまして代表者たちは、部長に対し罵詈雑言をあえてし、迫ってきたのでありますけれども、このとき偶然にも外国人が入室してきたので、午後5時ごろ、部長は部屋から脱出してくることができたのであります。その後に残った恩賀学務課長を取囲み、徹宵押問答をしておったのでありますが、15日午前3時ごろ、双方交渉を一まず中止、休憩することになり、双方とも15日朝まで、日本人側の教育課長と朝鮮人代表70名が副知事室におったのであります。

4月15日朝9時過ぎ、知事は関係当局よりの呼出しにより出頭、10時ごろより、渉外局長室において朝鮮人代表5名と会見することにしたのでありますけれども、この代表者との間に、会見の場所及び代表者の数に関しましてお互いに意見が違いましたので、遂に正午ごろ、知事は所用のため外出いたしまして、代表者との会見が不可能となったのでありますが、代表者約70名は、依然として知事室を立ち退かず、午後1時半ごろ県当局は即刻立退きを勧告したが応ぜず、さらに午後6時に至り、再び立退きを勧告しましたけれども、さらに応ずる気配がありませんので、検察庁は遂に警察官を指揮して、建造物侵入被疑事件として右70名を検挙、うち5名は婦女子などがあったものですから、これを除いて65名拘留、生田、兵庫の2警察署に収容したのでございます。これが4月15日の検挙事件でございます。

その翌日より毎日のごとく、朝鮮人数100名は収容警察署にデモを敢行、一方連日にわたって、朝鮮人数10名は検事正に面会、被疑者の釈放方を要求してきたのでありますが、検事正は、取調べ終了まではこれを釈放せずと、その都度回答しております。

4月16日午前10時半、兵庫県、神戸市、検察庁、警察、裁判所当局が会見いたしまして、本事件解決方策につき協議したのでありますけれども、同日午前11時、朝鮮人代表4名と会見しましたが、午後には朝鮮人の県庁に来る者約300名となったので、午後7時ごろこれに退去命令を出し、警察権をもって朝鮮人を退去せしめたのであります。

4月21日、22日の両日にわたり、さらに朝鮮人代表7名は県庁に来り、県当局に対し、以前同様、拘留中の朝鮮人の釈放、学校閉鎖命令の撤回等を依然として要求してきたのでありますけれども、いずれも交渉決裂。同23日最後に、知事との間に同様の交渉がなされたのでありますけれども、県当局が断固要求を拒否したために、遂に決裂するに至ったのでございます。

一方神戸市側におきましては、学校管理者として、民事訴訟法上の手続によって、校舎明渡し仮処分命令を裁判所より受け、前記4校の明渡し仮処分を執行いたしましたけれども、これまた多数の朝鮮人の学校占拠のために執行不能に終ったのでございます。

最後に、4月24日の騒擾事件を御報告申し上げますが、4月23日に、関係方面より右明渡し処分の経過の報告を求められましたので、神戸市警察長はその結果を報告して、さらに関係方面の応援方について意見を求めましたところ、関係方面の、本問題は日本警察独自の立場において解決すべきであるとの見解に従い、4月24日、さらにこれが対策を講ずるため、午前9時半、兵庫県知事室に、左記人々が参集協議することになったのであります。県庁側では岸田知事、吉川副知事、井出国家警察長、その他市側では神戸市長、助役、神戸市警察局長、公安委員長、その他渉外局側といたしましては田中渉外局長、検察庁側としては市丸検事正、田辺次席検事、兵庫県における各関係首脳部が全部寄ったのであります。

右16名参集の上、協議に入りまして、古山警察局長より、前日の仮処分執行不能の状況等を説明し、26日挙行の予定となっております朝鮮人約3万のデモンストレーション並びに5月1日のメーデーにおける示威運動をも考慮に入れまして、仮処分はその後まで延期する方がよからんとの見解を披瀝せられ、検事正もまた、拘束中の65名の取調べの関係もあり、執行延期に賛成するとの意見を表示し、さらに26日挙行予定の朝鮮人3万のデモにより、いかなる事態を生ずるやもしれないので、これが中止方を知事、市長において関係方面に要請することを協議しつつあったときに、すでに11時ごろになったのでありますが、突然知事室の隣室に、喚声をあげて多数の朝鮮人が乱入しました。

器物、ガラス等を破壊する騒音が聞え、ついで知事室の入口のドアを椅子等で打破ろうとするふうでありましたので、内部からこれを阻止する一方、警察長は電話にて急を警察本部に連絡し、警官の即時派遣方を命じておったのでありますが、知事室隣室に乱入いたしました暴漢は、刻々その数を増し、口々に開けろ、殺すぞなどと絶叫し、約3、40分経過した後に、遂に知事室入口のドアも打破られ、一時に約100名の暴漢は、なだれを打って知事室に乱入し、手当り次第にいす、テーブルその他の備品を破壊し、電話線3本を切断、電話機3箇を破壊、知事の事務机に上り、ガラスを破り、20~30分間は阿修羅のごとく暴れまわり、知事室の様相は一変するに至ったのであります。私ら3名も、現状のまま保存されていた知事室を検分したのでありますが、その当時の暴徒の暴状は、眼前に浮ぶように考えられたのであります。

しかして暴徒は、知事に対して、閉鎖命令を撤回せよ、きょうは全部死を覚悟して来た、などと絶叫するので、知事はやむなく代表者数名に面会する旨答えたのでありますが、暴漢は暴れるばかりで、手のつけようがなく、またその数は刻々と増加し、隣室より廊下に充満してきたのであります。

このとき外国官憲は、下士官2名を伴い、暴漢を押しわけて知事室に来り、知事を室外に連れ出さんとしたのでありますが、暴徒は暴力をもってこれを阻止し、突き返しましたがために、外国官憲の1人は押し倒されて、混乱状態に陥ったというようなひどい状態でありました。このとき2名の外国官憲は、ピストルを暴漢に擬したのでありまするが、猛り狂っておる暴徒は何ら屈することなく、反対に数名は机の上に飛び上り、腹部を突き出して、ピストルが何だ、命が惜しいと思っているか、早く射てと反抗してきたので、外国官憲は事態の悪化を慮り、射撃をなさず、約10分間にして退出したというような状態でありました。

暴徒は、さらに隣室と知事室との壁を椅子等をもって打破り、知事を殺せ殺せと絶叫し、閉鎖命令の撤回を迫り、書面の作成を強要したので、知事は、事ここに至ればもはや万事休すと考えて、さらに知事以外の他庁の人々に及ぶ危害をも憂え、閉鎖命令撤回の書面を作成して手交し、暴徒はさらに検事正に65名の即時釈放を強要したのでございます。

検事正は次席と協議の結果、閉鎖命令が撤去せられた以上は、一応根本問題は解決された形となったこと、当時県庁の周囲を取囲み気勢をあげる朝鮮人は数1000名に及び、強いてこの要求を拒絶せば、流血の惨事を惹起するやもしれない状態になったこと、並びに拘束中の被疑者などは犯情悪質なものと認められず、首謀者数名を起訴すれば足ること等の事情を考慮して、遂に暴徒の要求に応ずることとして、次席をしてただちに帰庁せしめて、その手続をとらせているようであります。

次いで暴徒は、再び知事に対して、本日の知事室の暴行事件は一切検挙せぬ約束をせよと迫ったのでありますが、知事は自己の権限外なることを答えたため、さらに暴徒は検事正にこれを強要したので、検事正は、これまた同様これを検挙しないという書面を渡しておるのであります。

暴徒はさらに市長に迫って、仮処分の訴えを取下げる旨の確約をなさしめ、午後5時ごろに至り、ようやく引揚げたのであります。これが4月24日の騒擾事件の概要であります。

右のごとく、前後約6時間にわたる交渉の間には、県庁の周囲には5000~6000名の朝鮮人参集し、共産党員の腕章を巻いた者が、こもごも立ってアジ演説をやり、ビラをまく等、盛んに気勢をあげておったのであります。

一方、遅ればせながら非常警備の配置についた警察官約800名は、内部の各官庁主脳者に危害の及ばん情勢にあったので、断固これを検挙するの強硬手段をとることができなかったのであります。

この後は、すでに新聞でご承知の通り、25日午前1時、連合軍より神戸市に非常事態の宣言があり、その時より、日本警察官は外国憲兵隊の隷下にはいりました。翌日午後5時現在において、1161名の被疑者を検挙するに至ったのであります。

以上が大阪・神戸事件の概要でありますが、5月2日、日本共産党神戸地区委員会委員2名が私を訪問、左のごとき書面を提出いたしました。これは公平を期する意味において、簡単でありますから、ここに読み上げたいと思います。

本問題は、弱小民族たる朝鮮人の自主的文化擁護の要求によるものにして、無能力なる日本官憲の一方的抑圧により、遂に事態の悪化を来したのである。

その間わが党は――というのは共産党です――弱小民族文化擁護のため、日本側当局に対してその無能を衝き、事態の収拾の申入れをなすとともに、朝鮮人側に対しては、日本学制による朝鮮人教育の自主性の確立を本問題の解決の基本方針となすべき旨を勧告する等、本問題の平和的解決のため全力を尽したのである。

事件は4月15日、73名の不法検束を見るに至り、いよいよ紛糾し、爾後の交渉においても日本側の誠意なき態度は、朝鮮人の当局に対する信頼をまったく失わしめ、遂に24日、再び15日のごとき不祥事を惹起するをおそれた朝鮮人交渉委員は、知事室に強行入室、会議中の知事、市長、検事正などと面会し、朝鮮人側の要求たる閉鎖命令の撤回、73名の即時釈放等を獲得するも、同夜中より、神戸市憲兵隊による朝鮮人らの一斉検挙が開始せられたのである。

4月15日、73名の不法検束に至る間の判明せる事項は、22年11月28日、神戸市当局よる朝鮮建国促進青年同盟――これは建青と呼んでおるのでありますが――に対し、23年3月31日までに学校明渡しを言い渡してこれを認めさせたが、大多数の朝鮮人の組織たる朝鮮人連盟に対しては何らの通告なし。

本年2月28日、小寺市長より3月18日までに学校明渡しの命令あり、その後引続き交渉するも、進駐軍の命令と称して、代りの学校のせわも、新築まで待つことも拒絶す。

4月9日当局より、4月10日をもって学校を閉鎖すべき旨の命令出る。

4月11日、マツノ小学校で人民大会を開き、交渉委員をつくり再交渉、小寺市長はいやなら朝鮮へ帰れと侮蔑の言を吐き、関助役は軍政部の指示あるまで保留するとの一筆を入れる。

4月12日、父兄総会の決議文をもって県及び市に交渉、当局は言を左右にして要領を得ず。

4月13日、県教育部長及び交渉委員の面前で、進駐軍の教育課長は、学校明渡しの命令は出した覚えはないと言明する。なお当日判明したる事実、朝鮮連盟学校は県下に256校あり、この申請した資材を全部建国青年同盟に渡しておる。

建青は架空の学校26校をつくり、一切の学用品、生ゴム等の配給を受け、これを横流しておる。これらの関係書類に県教育部長は捺印しておる云々

こういう書面を提出しておるのであります。

最後に、われわれ調査委員3名のこの事件の調査の結果の観察を申し述べます。以上の調査よりして、調査委員団は左のごとき観察に到逹いたしました。

本事件は、朝鮮人学校閉鎖命令に端を発しておるのでありまするけれども、単なる教育行政に関する面のみではなく、次のごとき諸種の原因が包含されております。

朝鮮人内部問題、すなわち朝鮮人連盟と建国促進青年同盟、その間の思想的な対立、その他諸種の理由による相剋が大きな原因となっていること。(略)これらの観察の結果、私らの最後の所見を申し述べます。

1、日本人たると朝鮮人たるとを問わず、政府は法律に従わない者に対しては司法権の発動を徹底化し、法の威信を厳守すること。なお第三国人に対しては、その違法の程度により、これが本国送還を考慮すべきこと。(略)

7、最後に、本事件につき共産党本部よりの指令ありたるや否やの点は、われわれ調査の範囲内においては不明ではありまするけれども、朝鮮人学校閉鎖問題に関し、各地方のフラク活動が相当活発であったことは、共産党員みずからの言より明らかであります。従いまして政府は、今後の取調べの結果、再建途上あるわが国の現状に鑑み、もし騒擾罪等のごとき破壊的犯罪に対する共犯関係または教唆等の事実判明せる場合は、断固たる処置をとることに断じて怯懦(きょうだ)であってはならないと考えられます。もし取調べの結果、伝えられるがごとく共産党本部よりの指令ありとの事実が杞憂にすぎないことが判明いたしましたならば、われわれ調査員といたしましては、まことに幸いと言わなければなりません。

以上、御報告申し上げます。(拍手)





昭和23年05月11日 衆議院 治安及び地方制度委員会
[002]
民主自由党 小暮藤三郎
私はさきに本委員会を代表いたしまして、川橋(※豊治郎。日本自由党)君と松澤(※兼人。日本社会党)君と私と3人、去る5日に東京を出発いたしまして、予定通り、6日の午前7時に三宮に着きました。

(略)

それから8日にはこちらから通牒してあります大阪府庁への時間は午前9時ということになっておりましたが、15分ばかり前に大阪府庁に参りまして、知事以下に会いました。

(略)

結局23日の日、ちょうど神戸において知事以下がいわゆる軟禁されたという前日てありますが、約5000の朝鮮人が学校問題で大阪府庁を取巻きまして、ちょうどその日には知事が不在でありましたので、副知事に例の学校問題の撤回を迫った、交渉がなかなか長引いて容易に解決がしない。ちょうどそのとき、数時間の後に副知事は打切りまして、そうして他に行かれた。これもやはり新聞等で皆さんが御承知の通りであります。その日には遂に朝鮮人側で失敗だったというので、26日に大挙して2万の朝鮮人が集まった。しかもその朝鮮人を指揮する者は、共産党員がまじっておって共産党が指揮しておった。御承知の通り、大阪の全逓の委員長がその指揮をしたということが明確になりまして、証拠が上ったので、収監されておるというような話も詳細にわたって聴き得たわけであります。

(略)

結局大阪市の警察局の扱いは非常に当を得まして、公安委員長の活動についてはいろいろ研究すべき点が多々あるようでありますけれども、警察局としては非常に手際のよい活躍をいたしましたために、朝鮮人側は結局目的を達しなかった。その結果として共産党が指揮して、その指揮した者も指揮をしたという確実な証拠が上って収監された。そういう点まで警察の力が、よく徹底してあの混雑の場合できたということは、私どもはまことに機宜の処置であったというように3人とも感じました。





昭和23年05月22日 参議院 治安及び地方制度委員会
[010]
無所属 鈴木直人
朝鮮人学校閉鎖問題に端を発する神戸市及び大阪市における朝鮮人騒擾事件調査のために、去る5月4日より8日まで5日間、両市に出張調査をいたしました結果について、その概要を私から一応報告いたしたいと思いますが、尚不足の分につきまして、或いは間違った点につきましては、他の出張委員から補正して頂きたいと思います。

出張いたしました議員は、本委員会より鈴木直人(※無所属)、岡本愛祐(※無所属)、岡田喜久治(※民主自由党)、村尾重雄(※日本社会党)の各委員でありまして、尚司法委員会より中村正雄(※日本社会党)、宮城タマヨ(※無所属)両委員も同一行動を以て調査せられたのであります。又兵庫県庁及び神戸市役所における調査に際しましては、衆議院の治安及び地方制度委員会より、同じく調査のために派遣せられておりました松澤兼人(※日本社会党)、小暮藤三郎(※民主自由党)の両代議士も同席の上、同時調査をいたされた次第であります。

先ず本事件の調査に当りまして、その主眼点をどこに置いたかと申しますと、本事件はいろいろな複雑な問題がこんがらかっておるのであります。即ち本問題は、教育上の問題でもありますし、或いは又日本に残留するところの朝鮮人の取扱いに関する問題でもあります。或いは思想の問題も含んでおりますし、或いは司法上の問題でもあるのでありまするが、治安及び地方制度委員会の我々といたしましては、主として治安の確保、新警察法の運用、又はその改正の要否というような点に主眼を置いて、調査をいたしたわけであります。

先ず事件の真相を正確に掴みたいと考え、そのために事件に関係ある者について、でき得る限り洩れなく直接面接いたしまして、事情を聴取したかったのでありまするが、事件を起しました方面、即ち朝鮮人側の幹部は、当時検挙せられて拘留中でありましたために、これらの方々に面接する機会を得ることができなかったことは、私達の遺憾とするところでありました。併しながら我々としましては、全く白紙の立場で最も大問題に公正に、正確にその真相を掴むことに努力をして、大方その目的を達することができたように考えておるのであります。

本事件の概況につきましては、先日本委員会において述べられた鈴木法務総裁の報告と重複する点がありますので、ここでは避けたいと思いまするけれども、或いは重複する部分があるかとも存じまするので、その点を御了承をお願いしたいと思います。

先ず第一に、本事件を起すに至った原因について簡単に報告いたしますと、終戦後全国に亘りまして、朝鮮人団体、これは主として朝鮮人連盟が大部分でありますが、これが経営者となりまして、朝鮮人の子弟のみを教育する、いわゆる朝鮮人学校というものが続々開校せられたのでありまするが、本事件発生の当時においては、兵庫県下には42校、外に分校1校がありますが、その児童数は約7500人、大阪府下には43校、その児童数は約1万1000人に達しておったのであります。

ところが本年1月24日、文部省学校教育局長より各府県知事宛の通牒を以て、「朝鮮人の子弟であっても、学齢に該当する者は、日本人同様、市町村立又は私立の小学校又は中学校に就学させなければならない。又、私立の小学校又は中学校の設置は、学校教育法の定めるところに依って都道府県知事の認可を受けなければならない」。というようなことであり、尚府県知事においては、以上の趣旨を実施するための適切に措置を講ずるようにというような意味の指示が、文部省から府県知事に発せられたのであります。

大阪府におきましては、これに基きまして、2月6日関係方面よりの指示もありまして、朝鮮人学校長会議を開催して、右の通牒の説明をしたのを初めといたしまして、2月10日、2月20日、2月26日、3月1日、3月12日、3月16日、3月22日、3月23日と、漸次政府の方針の実行方について、府市側と朝鮮人学校経営者、或いは父兄側との間に折衝が続けられて行ったのであります。併しながら遂に4月12日に至りまして、大阪府下43校の中、19校に対して4月15日を期限として、閉鎖命令が府県知事から発せられたのであります。

又兵庫県においては、3月5日から、大阪府と同様な経過を辿って行ったのでありまするが、大阪は4月12日でありまするが、兵庫は4月10日に至りまして、遂に神戸市内にある4つの朝鮮人学校、これは日本の小学校を借りてやっておるのでありますが、その4つの朝鮮人学校に対して兵庫県知事より、即刻4月10日を限って閉鎖命令が出たわけであります。知事より閉鎖命令を受けました朝鮮人側は、直ちに今度は閉鎖命令の撤回要求運動を展開するようになったのであります。

先ず兵庫県における概況を申しますと、兵庫県においては4月10日閉鎖命令を受けるや、4月12日、4月13日、4月14日と連日県庁に父兄或いは代表者が押しかけまして、知事に面会をして、閉鎖命令の撤回の要求をいたして、遂に4月14日の夜においては、数10名の者が、県庁の副知事の室で学務課長を取囲んで終夜押問答を続けて、遂に徹夜をいたし、明けて15日も引続き副知事室に坐り込んで、知事との直接面会を要求して動かなかったわけであります。

その日の夕方午後5時頃になって、知事は遂にこれらの人々に解散命令を書類を以ていたしまして、撤退しなかったために、全員73名を検束するということになったのであります。警察との関係は大体これ以後に起って来るわけでありますが、この検束せられたということを知った神戸市内の朝鮮人の方面におきましては、その夜8時頃、或いはトラック或いは三々五々と県庁の周囲に集まりまして、約数100名に達したのであります。

尚一方これらの70名、これは3名は帰されたのでありますが、70名の検束者を留置しているところの生田、兵庫の警察署の周辺にも、それぞれ数100名の朝鮮人が参集いたしまして、そうして不穏のままに、その当夜は警察官と対峙して徹夜をし、翌16日にも県庁の周辺には約300名の群集が集まって、その代表者が知事に面会を求めて、この被疑者の釈放と閉鎖命令の撤回について交渉をいたしたのであります。

一方又2つの警察署におきましても、群集がますます多くなって、そうして面会の強要とか或いは被疑者の即時釈放、差入れ要求などを続けながら、1日を経過いたしたのであります。

この日の警察官の動員は549名になっておるのでありまして、この際における市警察或いは国家警察との連絡は、極めて順調に進められておったようであります。

次の17日、18日と段々経過するにつれまして、拘留中の朝鮮人は、取調べを終りまして、刑務所の方に移されました関係もあって、段々と群衆は解散をし始めて、19日に至っては漸く平穏となって、警察関係におきましても、警備態勢を一応解除するようになったようであります。

20日には、朝鮮人連盟の中に教育対策委員会というようなものが設けられまして、主として一般市民に愬(うった)える運動、いわゆる街頭署名運動などを展開しておったのでありますが、次の21日に至りまして、午後4時から県庁の知事の部屋に、知事、副知事、市長、助役、市の警察局長、検事正、次席検事などが集りまして、協議の結果、いよいよ23日を期して神戸市内の3つの学校に対して、仮執行の処分をすることに決定したようであります。

22日、23日も県庁で、朝鮮人代表と知事との面会があったけれども、勿論物別れのままになって、次いで23日にはいよいよ朝鮮人小学校に仮執行が行われるようになったのであります。

午後遅く仮執行が行われたのでありまするが、その学校は、日本人の小学校を3つ借りておるのでありまするが、その中の1つには、朝鮮人学校としては2校に分れて、借りて入っておったのでありまするから、日本人の学校としては3つでありまするが、朝鮮人の学校は4つになっておるのであります。

この二宮という1つの学校におきましては、なんのこともなく仮執行が行われたのでありまするが、稗田校という1つの学校においては、約200人の朝鮮人が妨げておりましたので、警察署長外150人の警察官が応援をいたしまして、執行を終ったのであります。併しながら他の1校である神楽校、これには朝鮮人の学校が2つあるのでありまするが、この神楽校の分は、約1000人の群衆が妨害いたしまして、執達吏はこれを執行せずして帰ってしまう、警察官はその後行ったのでありまするが、執行の人達が帰ったあとに行ったような関係で、遂にこの神楽校については仮執行は不執行に終ったのであります。勿論群衆はその夜は学校に籠城いたして、徹夜をいたしたのであります。

このような経過を以て問題の24日の日が来たのであります。翌24日には、午前9時から知事の部屋において、知事、副知事、教育部長、或いは市長、助役、検事正、次席検事、市の警察局長、市の公安委員長、国の警察長、県の公安委員長はおらなかったようであります、その他関係者が集まりまして、協議をいたしたのであります。これは市の警察局長の要請によってやったのでありまして、その題目となったのは、先日不執行に終ったところの神楽小学校に対してもう一度仮執行をする、それをいつするかというような点について、又26日には3万人の朝鮮人のデモがあるということになっておるので、その取締をどうするかというようなことについて協議が進められたのであります。

午前の9時に始まりまして、10時10分頃、神戸市会議員の堀川という共産党員が、朝鮮人を含む数名を連れまして知事に面会を申込んで来ましたが、協議中であるというので拒絶をいたされたようであります。尚10時30分頃朝鮮人連盟の金という人が、釈放新聞の記者でありまするので、釈放新聞記者という名目の下に知事に会見を申込んだのでありまするが、これも亦協議中であるために会見することができなかった。

兵庫県の報告には、このときに誰か県庁の公衆電話を使って、そうして朝鮮人連盟の支部、或いは教育対策委員会という方面に電話を掛けた者であるということでありまするが、約30分も経た11時頃、急にトラックで以て朝鮮人の大衆が県庁の前にやって来て、或いは三々五々徒歩で集まる者もありまして、直ちに数100名に達したようであります。

知事室におきましては、何もそういうことを知らないので、知事室の中におきましては、その仮執行のことなり3万人のデモのことについて相当激論が交わされて、熱心に協議をいたしておったようでありまするが、そうしておるうちに、約100名の青年行動隊の記章を付けた者が先頭になって、そうしてどやどやとその知事室を目指して県庁の中に侵入をいたして来たわけであります。そうしてこれに続いて相当の者が県庁に入って来たわけであります。

知事室の中におきましては、そういう状態を知らないで相変らず協議をいたしておったのでありますが、その控室の所に相当の者がやって来て、器物を毀す物音が相当はげしい、その音が突然起ったので知事室の人々は、先っき断わられた人達が来て乱暴しておるのであるという工合に考えておったようでありまするが、念のために知事室にいた小山保安部長が電話で市の警察との連絡をする、又三宅国家地方警察の警備課長が国家地方の警備課の方に電話で連絡する、又副知事から、渉外局長に対してMPと連絡するというようなことをやらしたりして、早くそれを鎮めるようなことをしたようであります。

併しながらしばらく経つと相当喧(やかま)しくなって知事室に入って来るような気色がありましたので、市の警備課長をしておる者が知事室におりましたので、ドアが開かないようにそのドアの取手を中から押えて、又他の者はつい立をドアに置いて、更に大きなテーブルを運んで第二の防御点を作ったのであります。

その後鈴木法務総裁が御説明したような事態が起ったのでありまするが、時間が掛りますからその点はまあ省略をしておきたいと思います。

そういうふうにしてついに知事はその学校閉鎖の命令を撤回し、又朝鮮人の特殊学校についてはどうするかという点については、後日双方より委員を出して協議をする、但し協議決定するまでは従来の学校を認めるというようなこと、或いは市の警察局長と検事正におきましては、拘留中の65人の者を即時釈放するというようなこと、或いは市長は仮処分の要求を撤回するというような次第が、文書で認められておったわけであります。

その間に警察におきましては、相当の経緯を辿っておりましたのでありますが、実はその点について詳しく御報告申上げたいと思いまするけれども、実はこの点が御報告申上げようと思うと警察の運用の中心でありまするけれども、時間が掛るので省略をいたしたいと存ずるのであります。そうしてついに知事は閉鎖命令を撤回するに至ったわけであります。

その後夜の午後11時に至りまして、神戸基地司令官から知事、市長、市警察局長、或いは国家警察長、検事正、次席の検事、或いは市内の警察署長、という者が召集を受けまして、非常事態の宣言の指令を受けまして、その時から警察が基地司令官の指令の下に動くということになったわけであります。

これにつきまして、又大阪におきましても同様な事件が4月23日と、4月26日に起ったのでありまするが、大阪の事件は予め朝鮮人側から届出がありまして、そうして市の警察局長におきましては、大衆デモはこういう方法によってやれということを一応指示を与えて、そうしてその責任者がそのことを守りつつやったのであります。

併しながら集まって見ますと、大衆はその指導者の言うことを聞かずして相当騒擾を行ったのでありますが、併しながらこの点が神戸の事件と違いまして、神戸は殆んど全然関係なく、検事、警察側におきましても突如そういうふうな者が入って来るというようなことについては、予め何らの連絡もなかったのであります。従いまして警察といたしましても予めこれに対する対策を講ずるというような考え方もなく、余裕もない、いわば虚を突かれたというような状態でありまして、誠に私は気の毒なことであったと思うのであります。

大阪におきましては、先程申上げましたように予め置いてあるところの指導者が連絡をいたしまして、そうして府庁の周囲に大衆が集まり、その代表者が府知事と交渉する、而もその交渉の人員ももうはっきり決まっておるというような形であるようでありまして、こういう関係であるのでありますから、警察といたしましても相当見事なやり方をすることができたと思うのであります。



[012]
民主自由党 岡田喜久治
只今鈴木委員から大略すべてのお話がありました。少し補充いたしまして、感想をちょっと申上げて置きたいと思います。

今度の大阪、神戸両市の事件を見まして、何を申しましても、これを警察的見地から考えて見ますと、実にどうも寒心に堪えない重大な事件であったと痛感いたします。大阪におきまする始末は、只今報告がありました通り、非常にこと鮮かに、いわば手際よく始末をしてのけておりますために、警察的事件としては、顧みて多く申上げる程のことはないと思います。

併しこの神戸におきまする事件に至りましては、今もお話がありました通り、すべてのことがいわば手違いと申しましょうか、情報も分らず、非常に打撃を受けておるというような恰好であります。或いはさまざまな事情がありまして、あれこれと手違いを来たしておるというような感があるのであります。

それあるがために、当日の光景に至りましては、全く一言にして言えば、無警察状態と申してもよろしいでしょう。詰りこれは単純なる監禁とか軟禁とか、されたとか、したということではなく、なす、受けるところの光景というものは全く暴動的で、徹頭徹尾恐るべき騒擾事件、乱暴狼藉の極を尽しておるようであって、その間警察を午前10時から午後5時に及ぶ長時間に亘って、一県一市の首脳部が全部ここに拘禁されておるにも拘らず、これに向って何らの処置を加える途がなかったのであります。実にこれはまあ意外千万な状態であります。

殊にこの知事室乃至は隣室等の乱暴狼藉の跡形を見まして、実にそれは目もあてられない状況であります。あらゆる器物を打擲し、散乱して、机の上のガラス板まで全部これを踏みにじってしまうという有様であります。或いは又間仕切りの壁等を全部穴を抉りまして、乱暴狼藉の極を尽しておるのであります。如何にどうもあるまじき、実に浅間しい暴力行為を擅(ほしいまま)にしたか、その光景というものはよく分るのであります。にも拘らず今申す通り、殆んど警察としてはこれに向って、とにかく事情があって、理由があってではありましょうが、一指も染むることなく終始暴状に委(まか)して、蹂躪に委(まか)しておったというのでありますが、警察的観念を以て言えば誠に私は情けないことでもありますし、又実に寒心すべきことでありまして、将来類似の事件、類似の、若しくはより以上の事件が発生されたときに、どうなるだろうかということについて思いをいたさざるを得ないのであります。

でありますから、この神戸の事件を標準に考えて見て、とにかく第一に非常に感じましたことは、警察力の薄弱であるということであります。何を申しましても警察力が非常に薄弱である、特に執行力が微弱であります。警察力が薄弱であり、執行力が微弱である。どこからそういうことになって来たかは多く申すまでもありますまいが、勿論多くは時勢のしからしめるところでありましょう。

敗戦以来日本はとにかくもうあらゆる秩序紊乱の状態に陥っておりまして、平常のごとく秩序を確保するということについては、警察がなかなかその本来の職務を発揮するに足りないのでありまして、殊に第三国人、朝鮮人等に対しましてはここ2、3年に亘りまして、御承知の通り殆んどまあ放任状態に置くと申すか、少くも国内人に対する取扱いとは非常に相違がありまして、まあ触らぬ神に崇りなしというような工合であって、厄介もの扱いにいたしまして、一にも二にもこれを緩慢な処置に流して来たというような風習、この風習が今日の状態を醸成したということは明かであると思います。

それからもう一つは、何せ第三国人でありますから、今言う通り非常にこれに敬遠主義を取り、若しくは恐怖心を懐き、虚脱の状態が継続いたしておりまして、何となくこれらに対して本来なすところの警察の職能を十分に遂行し得ないというような状態だろうと思うのであります。

分けて神戸市は、土地柄が貿易港であって、今後においてはいよいよ第三国人との貿易交通を大いに聞かなければならない。従って感情上においても、国際関係においても特に注意しなければならん。でありますから、かくのごとき第三国人によって起された事件に対しましては、その取扱上において、苟(いやし)くも人権蹂躪のごときことのないように、これはもう勿論でありましょうが、更に進んで悪感情を持たすことのないように、即ちこれは非常に痛いものに触るような立場であって、徹頭徹尾第三国人に向って一つの警戒心、若くは露骨な言葉で言うならば恐怖心というものが手伝って、この恐怖心、臆病心というものから、何となくこれに向って万一の流血の惨事を起さないように、万一の大波瀾を起すような問題を惹起しないように、こういう姑息極まった感情から、ついになかなかこれに向って警察本来の執行力を加えることを躊躇した、その躊躇逡巡が、結局のところ、あのような無警察状態に陥れた原因であるということは、何と申しましても明らかな事情ではなかったろうかと思います。

でありますから事柄を殊更に穏便に済ましたいという考えから、当局としては十分苦慮されておりますその心情というものは、私は深く推察すべきものがあり、又見ようによりましては、大局の上において国際関係を円満にし、流血の惨事を避けるというような念慮については、十分察すべき点があるのであります。

併しながらそれあるがために、たまたま事柄が歴然たる強迫、暴動の挙に陥っておるにも拘わらず、これに対して警察が何らの処置をし得なかったというようなこと、或いは御承知のごとく、殊に一切の即発の命令を取消すとかいうようなあるまじき意外なるところの処置に出でて、何でもかんでも事を糊塗しようというようなことに陥ったということは、これは立返って警察という観点から見ましたときに、ただ遺憾という以外に申しようがありません。

こういうようなことでは、露骨な言葉で言うならば、警察の威力というものは全くなくなり、見ようによっては、これが後日、却ってこうした類似の事件を誘発する元にならないとも分らない。いわゆるものには増長心というものがありますから、その増長心を起させ、軽侮の念を持たし、従ってかくのごとき騒擾事件のごときものを一層逞しくせしめることの憂はないか。少くも今のような状態を持って行くならば、そのことを保し難いということを、この現れました事実の上において深くどうも考えさせられざるを得ないのであります。こういう感じを懐くものであります。

(略)

これがためには、大阪におきましても、神戸におきましても、事件は極めて突発的である。勿論或程度の予見、予察はないではありません。相当にこれは継続したところの悶著騒擾事件でありまするから、とにかく毎日毎時のことで、この点については相当の情勢は判っておりましたが、今日結果から見て見ますというと、以外にもこれらの暴走暴動のやり方というものは、相当の、これは魂胆があり、画策があり、我々聞くところにおいては、或る意味において、これに共産党系が加わりまして、共産党戦術を以て非常に秘術秘策を凝らしまして、計画的にやって来ておると申されております。

いずれもこれは予審が決まりまして、事実は明瞭になるでありましようが、とにかく当局の言うところを以てしましても、十分な用意がありまして、警察当局のむしろ不用意を突いて、不意を食わしたことは明らかなところであります。そういうやり方については、全くもうさっぱりこれは予見、予察がついておらなかった。

これをあの大阪が十分な用意をして対処したに拘わらず、大阪の警察局長の申すところによりますというと、5000人の集団が庁外に急遽集結、あの通り計画を定めて庁内を一斉に占拠するというやり方については、頗る意外であった。事実申して、これは我々の予期に反した予想外の恐るべきところのやり方であって、これは明らかに共産党の功みなる戦術に、先手を打たれたということは明らかである、こう申しております。

(略)

それから第三の感想は同じこの今回の騒擾暴動は、共産党系が加わり、これは深い煽動或いは画策、謀略に関しまして、参加いたしております。これは又いずれも目下研究中に属するところの予審が決定の折は、これらの筋というものが明らかになるのでありましょうが、我々の聞くところ、承るところによりますと大阪においても、神戸においても、両々共に随分この数ケ月に亘って、少くとも近時1ケ月間において、共産党系が驀(まっ)しぐらにこれに加入いたしまして、あらゆる策謀に加わっておる。無論これが事件の指導の任に当っておる、煽動、協力はもとより、それよりもむしろこれらの人々の重大な主謀的画策の下において、すべての行動が取られておると、こう申されておるようであります。

検挙の数におきましては、大阪においてはすでに70名内外でありましたろうか、一応とにかく共産党系と称せられる者が検挙されております。神戸においてもこれに近い数が検挙されております。

いずれも恐るべき運動でありまして、大衆運動の裏面に、とにかくかくのごとき共産党系の謀略が、浸潤滲透しておって指導しておる、これが最も強大なるところの役割を果して、あのごとき、暴動的に見れば、成功した暴動と申しましょうか、とにかく警察の人に泡を食わしめて、無警察状態に陥れるという、とにかく憂うべきところの暴行方法を逞しうするような騒動を惹起いたしておるのでありまして、これが申せば今申上げた通り、共産党がたまたまその裏面に潜んでおるということを考えて見たとき、我々は非常に治安警察の見地から見て考えさせられざるを得ない。どうしてもこれはこのことを考えて見たとき、層一層現行警察において、治安警察に関する用意を、厳密になさざるを得ないであらうということを、そこで深く考えざるを得ないのであります。

大阪事件の如きは幸いに警察の士気が非常に旺盛であり、用意が非常に整っておる。申上げた通り極めて手際鮮やかにこれを片付けておりました。その結果から申せばあの場合は済んでおるようでありますが、その規模において、その画策において、その行動において、これ亦十分威力を発揮した私は一つの暴動であったと思います。

ともかくデモンストレーシヨンから申しましても、1万5000~6000人に達する、庁内に乱入する数から申しますと5000人内外という多数の者でありまして、これがとにかく或る意味において、府庁を占領したというような状態に相成っておるのでありまして、実にこれは恐るべき事柄であると思います。





昭和23年05月24日 参議院 治安及び地方制度委員会
[002]
日本共産党 細川嘉六
然るに当局はどういう態度でこれをやったか、これについて2、3の実例を申しましょう。神戸の小寺市長は朝鮮人代表との交渉の際に、進駐軍の命令だからということで高圧的に出ておるのであります。この進駐軍の命令だということは、大阪の場合にもやはり使われておることであります。それでこのことが問題になりまして、4月13日、兵庫県の教育部長と朝鮮側の交渉委員の面前で、軍政部のフィリップ教育課長は、学校明渡しを軍より命令した事実はない。こういうように述べておるのであります。これは尤もなことであります。(略)

それからなるべく時間もとりたくないのでありますが、昨日のお話でも、非常にこの事件は計画的であったということを強調されておる。殊に共産党がそれに深い深い後ろの策動をしておったということを言われておるのでありますが、それについてはここに事実を申上げなければなんと思います。

神戸においても、大阪においても、朝鮮民主連盟と対立している朝鮮民主建国促進青年同盟、それから居留民団、こういうものがこの事件に大きく浮き出て来ておるのであります。私は、むしろ反対に、こういうところに深い深い企みがあったと言わなくちゃならんように思うのであります。

神戸、大阪に亘って建国促進青年同盟、これが動いておる。それの委員長になっておるものは、玄考変という人であります。これは戦時中日本の憲兵協力隊長になっておって働いた人であります。今は三の宮にナイト・クラブを経営しておる。この人に率いられておる建国促進青年同盟というものは、今度の事件で非常事態宣言のために、朝鮮人の交通が不自由になって来たときに、パスポートを発行しております。そうしてこれを持っておるものの往来の自由を保護しておる。こういう仕事もやっておる。(略)

それからもう一つ、大部長くなりますから……。共産党がこの事件に、昨日から1人の委員のお話によると、深い深い企みを以って策動しておるということでありますが、私も本会議で述べました通り、共産党は朝鮮人側の要求、朝鮮語を使わせて呉れ、そうして朝鮮語で作られた、責任ある編纂委員会の作った教科書で、そうしてGHQの許しを受けたもので教授さして呉れということでありますが、その要求は尤もである。これは何とか日本の政府にも考えて貰って、そうして適当な妥協策を、案を作るということについては、共産党は賛成であります。又そういうことの意見を発表しておるのでありますが、併し暴力を以て行動せいというようなことは毛頭考えておりません、勧めておりません。

26日に川上貫一君が、大阪府庁前の大衆に対して演説をしたということは事実であります。併し鈴木法務総裁が述べられたのは、あれは一部分であります。その際に川上貫一君は、合法的手段によって政治的に運動を促進しなければならん、そういうことを切に言うておるのであります。それは当然のことであります。

それで、ただですね。共産党が策動した、策動した、深い陰謀があるのだなんということは、これは軽々に言うべきことでなしに、的確な事実に基いてなさるべきことだと思うのであります。昨日の報告でも、資料は不十分だと報告者の話の中にもありましたが、不十分なんです。私等の調査も亦不十分であります。不十分なる資料にも拘わらず断定をしておる。その断定は一つの共産党を弾圧する断定、ありもしないことを想像して、これを共産党におっかぶせるという断定、これは委員会に委員におかれても、事実に即して、そうして争われん事実に即して判断すべきことはなされなければならないと思いまするし、それを私は切に期待するものであります。

朝鮮人の学校問題というものは、単に単純な事件じゃありません。これは今後朝鮮人を日本において、日本国民とどういう関係に立たせるかということにも重大な関係がある。更に朝鮮との国交の問題に、来るべき国交の問題にも重大なる関係があることでありまして、どうぞ皆さんにおかれても、冷静、そうして周到な客観的な調査をなされて、適切な、正当な判断、どこへ出しても間違いのない判断を立てられることを切に私は希望するのであります。今後更に我々の方でも調査をまだ進めておるのでありますが、新らしい事実は更に発表して事件の本質を明かにしたいと思っておるのであります。これで終ります。



[004]
無所属 岡本愛祐
それから大阪や神戸の事件で、婦人や子供が多かったということであるが、確かにそうであります。婦人や子供を多く狩り出しておるのであります。併し婦人は非常な過激な人が多いんであります。これは同じく正丸君の話であります、監禁されたときに迫って来て、悪態をつき、えらく罵倒をし、暴行こそしませんが、実に残念に、無念に思ったのは、むしろ婦人であると言っております。2人の婦人がまあ非常な過激な乱暴な言辞を弄しておる。それでまあ女子供が多いから、この騒擾というものは大したこっちゃないということは言えないのであります。非常な勢いで、現に今細川君が言われたように、ピストルをMPが向けたときに、さあ、射つなら射てと、婦人が言っておるんです。実に婦人の態度というものは無礼極わまるもので、実に残念だったとこう私に述懐しておりました。(略)

それから大阪や神戸で、学校閉鎖命令は進駐車の命令だと言った。これは嘘だと言われますが、それはそうでないのです、やはり進駐軍の命令で、これは文書もございます。はっきり残っております。今年の3月5日附を以て、兵庫軍政部のハットン少佐から次のような指示があったのであります。

公立学校を使用している朝鮮人学校を立退かせるために、県下所在の朝鮮人学校の明細を報告すること。

神戸市内は4月の新学期までに立退き、その他もなるべく早く立退くこと。

外にもありますが、そういう指示をしております。それから4月8日に文書を以て、兵庫県の軍政部の司令官のレイコップ中佐から、朝鮮人学校の取扱について、1月24日附の日本政府の命令に従って、緊急に適切な措置を採るようにという勧告をしております。これは早く閉鎖をし、学校を返して貰えということであります。こういうふうに命令をしておるのでありまして、それを進駐軍に名を籍ってやっておるのじゃないのであります。この点ははっきりしておる。まだ外にはっきりした文書がありますが、見つかりません。あとで見つかったら申上げます。(略)

それから神戸と大阪の相違でありますが、神戸は計画的でなかった、期せずして多くの者が集まったというふうですが、確かにそれ程計画的でなかったかも知れませんが、併し尼ケ崎から朝鮮人連盟の方の青年行動隊、これが一番過激なんですが、これがトラックで駆けつけている。それで神戸の事件は父兄が、神戸市内の朝鮮人学校に子弟を通わしておったところの父兄が押寄せたということでなくて、尼ケ崎から青年行動隊が駆けつけているところを見ますと、尼ケ崎というのは神戸市でないのですから、連絡もあり、計画的部面もあったということは私は言えると思う。

それから大阪のは23日も26日もこれは計画的であった。秩序はなかなか立っておったようです。秩序が立っておったということは、計画的であったということに一応なるだろうと思います。



[006]
無所属 岡本愛祐
それではあとは簡単にいたしまして、一々お説をしておればきりがありませんが、それでは共産党がこれと深い関係があったかなかったか。これは徳田君も言っておられましたように、詳細な今後の調べを見なければ分らんと思います。

併し細川君も承認しておられますように、川上貫一君が、大阪で大群衆を前にしてアジ演説をやっておられた。それから神戸の方でも大衆に向ってやっておられた。

それから神戸で堀川という共産党員の方が、堀川なんと言いますか。一知と書いてありますが、神戸の市会議員、日本共産党の兵庫地方委員、これが24日の事件の起ります直前、午前10時10分頃に鮮人数名を帯同して、知事控室で知事に面接をして、学校の明渡しについて会談をしたいという押問答を重ねられた事実があります。それで暴動をやれというようなことを、この共産党員が言われたという、はっきりした事実は、まあ今のところ挙っておりません。

それから最後に朝鮮人連盟の騒いだ連中を検挙するのですが、これは4月25日に、神戸基地の軍政部の司令部から非常事態の宣言がされまして、今後はMPにおいて、学校問題に関する朝鮮人を逮捕して、軍事裁判に繋属せしめることになったから、警察は逮捕に協力せよと、こういう指示が出たのであります。それで検挙することになったのでありまして、これは連合国の方の日本の統治上の命令である。だから先程お話になったのは、連合軍の方の指示に従い、指揮に従って検挙しておるのであります。





昭和29年04月27日 衆議院 地方行政委員会
[046]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
それではこの8件の事件の概要を申し上げます。

(略)

それから次の神戸事件と申しますのは、23年の4月14日朝鮮人学校に対する閉鎖命令に応じない朝鮮人等が、代表者40名をもちまして兵庫県知事に陳情のために面会を求めました。翌15日も同様知事側と面談をいたしましたが、その間当局の退去命令に応ぜず、そのために住居侵入現行犯として70名を検挙いたしたのであります。ところで4月24日になりまして、県市警、検察庁の関係者が知事室において協議をしておりましたときに、突如知事室に朝鮮人が乱入をいたしまして、前記関係者をほとんど監禁状態に陥れまして暴行を加え、そして威力をもってその要求事項を承諾せしめた事件であります。

それからその次の大阪事件と申しまするのは、朝鮮人学校の閉鎖命令に応じない朝鮮人等が、4月23日に約5000名をもって府庁内になだれ込みまして、知事室の付属品、備品等を破壊し、4月26日には再び大手前公園に隼合いたしましたので、市警当局から解散命令を発しましたところが、これに応ぜんといたしました一部朝鮮人と、あくまで応じまいとする朝鮮人間に乱闘を生じました。このために警察は消防ポンプによる放水及び拳銃の威嚇射撃を行って鎮圧した事件であります。





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